雨桐悠生 雨さんの軌跡 (女性として生きる事を選択した人の奇跡)

半世紀過ぎてからGIDでMTFだと診断された人です。化粧品のアンバサダーモデルもやってたりします(*´∀`*)

MTF日記(51回目)トランスジェンー当事者として、私について、心境の変化をまとめたお話

ちょっと思うところが有って、難しい話を、2〜3回に分けて書いてみます。

 

多くのトランスジェンダー当事者、アライの方々、フェミニスト、トランスヘイター、その他マイノリティ、マジョリティーの方々、色々な人がそれぞれの立場で、色々な個人的見解を書いたり討論したりしていますね。

 

私は幸運にも、トランス差別やヘイトには、あまり関わらないまま、この3年あまりで現在の生活に辿り着きました。


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先ずは私の歩みについて、少し思うところを書いてみます。

それを踏まえて、現在私が考えているトランスジェンダーについて、次回書いて見るつもりです。

 

私は以前のから書いているように、歩み出しが大変遅く、数十年間、たった一人で孤独に耐えてきました。

そんな私も、思いを新たに歩み始めたことで、だんだんと知り合いが増え、現在も理解者、反対者含めて、色々な方と知り合いになる事で、交友関係がどんどん広がっています。

そんななか、自分宛てに言われた事はありませんが、性自認自体を否定する方の意見を目にする機会も増えてきました。

 

私はね、これまでジェンダーフリーとかトランス差別に反対とか、LGBTQ?の差別反対!とか、そういった運動に参加したりしたことはありません。

 

正直ね、この3年余の間は、自分の事で精一杯だったんです。

勿論みんな幸せでいて欲しいし、共感はするけど、まず自分がどうしたら良いのかさえわからなくて、充分な理解のないまま運動するほど浅はかでもないし、そんな余裕も知識も無かったんです。

 

これだけ情報が溢れている世の中でも、どうやったら自分が女性として暮らして行けるのか、自分の環境で何から始めて行けば良いのか。

これは若い頃から何度も何度も何度も、考えてきた事で、結局諦めてきた事だから、何度考えても行き着く先は

 

【今更だろ。諦めろ。】

 

になってしまっていました。

 

だってね、私が20代の頃にLGBTなんて言う言葉さえ無かったのですから…

私の年齢だと、国際機関で言葉が使われるようになったのは、アラフォーになってからです。

もっと言うと私がそういった事を知ったのは40を過ぎてから…

 

だからね、私の若いときはトランスジェンダーの権利も何も、そもそも私のような人はずっと精神疾患として扱われて、考えられていたんです😭

 

今は医学的に精神疾患とは違うよってなったけど、まだそう考えていて、そう言い切るような何目線?な医学的に素人な人も沢山います。

 

だからね、私が自分についてちゃんと考察して考え始めたのも10年ちょっと前になってから…

 

これね、私は当時もう40代ですよ?😵‍💫

そりゃあ私だって今更だよねって考えますよね…😭

当時は若い人達が羨ましくてしょうがなかったです。

 

だからせめて、男性ならざるものでいようと、可能な限り真ん中にいたいって思って、中性的になろうと努力し始めたんです。

 

当時の私の自分への捉え方から、考え方は、今で言うノンバイナリー。

性別無いですって言いたかった。

自覚というよりは希望に近かった。

 

経過をちょっと載せて見ましょうか🤔

以下は経過のわかるノーメイク、治療無しの状態での比較をしてみます。
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先ずはこれがLGBTっていう言葉が出来た後くらい。

この頃にそういった事が認知されつつあるんたな〜?私以外にも結構いるのかな〜?

くらいは思ったけど…

 

こんな自分ではトランスは無理だわ…と思って、中性を目指し始めたわけです。

先ずはダイエットから。

もっと華奢になりたかった🥲

小さい頃は

女のコだと思った

可愛いね

って言われて育ったけど…

でも考えられた時点の当時の私はこんなんでした😭

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で、7〜8年くらいかけてゆっくりダイエットして、こんなふうになります。

ちょっとだけ中性的になったつもりでいました。

こういうスタイルなんだよ。レディース?いいじゃん似合ってれば。って言い放ってたかな?😂

 

このあたりから基本的なスキンケアや日焼けなんかも気にするようになって、メイクもしてみたいと思うようになります。


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そこから1年くらいかけて、少し頑張って髪を伸ばしたり、ボディメイクしたり、肌のケアをしたりを続けてきた結果、こんな感じになって、仕事場でも働いていました。

メイクの練習もして、この頃には休日には女装して出かけたりし始めてたかな〜?

 

このあたりから、

受診してみようかとか

治療を考えててみたいとか

カミングアウトするかとか

目標は中性のままでで本当に良いのかとか

 

色々ジェンダーの分類や法律の現状の知識を学んだ事もあって、改めて色々な事を悩み始めます。


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それから3ヶ月後

このくらいの頃にハイクオリティさんのモデルに血迷って応募したと思います。

少し中性としてマシになったと思えたのが理由かな笑

今でも何故血迷ったかは、考えても正確にはわかりません笑

でもトランスを半ば諦めていた私としてはは、頑張ってきた証が何かしら欲しかったんです。

だから記念に応募したのかな…と思っています。


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それからまた1〜2ヶ月後

ハイクオリティさんの1次オーディションに通ったくらいの頃かな?

この頃から、少し方向性に腹を決めて、仲の良い友人や職場の数人にカミングアウトし始めます。

多分、例え書類選考だけでも、オーディションを通った事で、少しだけ世の中に認めていただけた気がしたんです。

 

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更に2ヶ月くらい後

この頃はオーディションの2次を通った事もあり、少しだけ、更に自分のフェミニンさの程度に自信を持てた事で、徐々に職場でも容赦のない感じになり、認定医のいるジェンダークリニックを受診する事を決めたりしました。

トランスジェンダー女性(へーちゃん)の、家族や仕事場でのカミングアウトの様子、努力して認められていく経過を、偶然SNSで知った事が凄く大きかったです。

私も彼女みたいに社会的に、ちゃんと認められたい、ちゃんとしたいって思うようになりました。


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これはQUALITYENATURAのモデル最終オーディションの前くらい。

この頃は、受診もし始めていて、職場でもカミングアウトして働いていました。

現場では受け入れてもらえていましたが、本社人事とは、なかなか相容れない事もあり、この年いっぱいで仕事を辞めてから、治療や改名をちゃんと済まそうと決めていました。

それがある程度終わってから、受け入れてくれる新しい職場を探そうと。


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これがそれから4ヶ月半くらい後に、GIDの診断が出て、HRTを始める事が決まった頃の写真です。

ここまで全部ノンホル、ノンオペでの経過です。

 

オーディションを各所で通った事は、私が歩み出す一つの自信になったので、このオーディション関係者やハイクオリティさんには本当に感謝しています。

そして受診するきっかけになった、今では友人のトランスジェンダー女性にも、本当にとても感謝しています。

 

その前のきっかけを考えるとね、私がメイクしたりし始めたのは、50に近づいてきて、ずっと欲しかった子供を諦めた(両親の私の子供への期待が無くなった事を理解した)時に、これが唯一私を男性に繋ぎ止めていた理由だったのに、それがこのときに、1つも無くなっちゃったんですよね。

 

ああ、もう頑張って我慢しなくて良いんだなって。

ほっとして涙が出たのを覚えています。

 

女性として生きたい、男性として生きたくないっていう自分の希望はずっと明確にあって。

でもね、私は社会的規範からなかなか逸脱する事が出来ない性格だったし、私自身も子供が欲しかった。

 

それを身体の問題で、子供の出来ない身体なんだなって理解して諦めた時に、すっとね

 

【私だってもう我慢しないで、女性として生きたいよ】

 

ってなったんです。

 

ずっと諦めても諦めきれなくて、なんとか真ん中でいたいと思っていた私。

 

そんな私が最早男性でいる理由が無くなって、やっぱり諦めたくないって思った時にね、凄く困惑もしたんです。

じゃあどうすれば良いの?って

 

考えると、女性で生きたいっていう目標はあるけど、漠然とし過ぎていて、どうすればよいのかわからなくなってしまったんです。

 

自分自身の男性的な身体への嫌悪はあっても、形を変えるって事が私の希望とは≒であっても、必ずしも=では無くて。

ただ手術して戸籍を変えてって結論にはならなかったの。

それだけで女性になれるわけないよねって。

 

勿論戸籍も身体も変えたいけど、経済的にも身体的にも、年齢的にも限界が有る事は、昔から理解していましたし…

 

私の願いは、周囲の方に気兼ね無く女性として扱ってもらえて、女性として振る舞えて、好きなものを好きと言いって生活したい…それだけ。

 

とにかく自分を隠したり我慢したりするのに疲れてしまっていたんです。

 

私は子供の時から家庭でも、基本的に優等生で生きてきたので、なかなか曝け出すっていう選択肢がずっと無かったから。

 

で、ダイエットから始めて中性を目指して、中性的になれた気がしてからは、先に進みたくなり、メイクから入ります。

少しでも目に見えて自分を変えたくて。

 

 

その後、勇気を出して職場や実家でカミングアウトして、職場では一緒に働く現場のみんなに、折角受け入れてもらえて、とても幸運だったのに、何故辞めてしまったのか。

それはね、研修や学会参加で本社人事と話した時にスーツで来いって言われたり、色々と法人本部での私の扱いが上手くいかなかったから。

施設利用は主張したくないし、しなかったけど、男性用のスーツで来いっていうのは受け入れがたかった。

 

辞める事を決めてから、最後だからって従っていきましたけどね😫

 

だから今の職場では、私は最初からカミングアウトして面接を受けて本社法人と話し合いました。

この会社では前例が無かったのに、こんな私を受け入れてくれた事が、私が新しい職場をこの法人に決める要因になりました。

 

偉そうですが、私達の職場は基本的に売り手市場なので、勿論全てではないのでしょうけれど、基本的には決めるのはどちらかと言うと私達なんです。


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そして今私は、女性として働けています。

施設利用も女性として認めていただけて🤗

 

私の歩みって、実家の母の問題はありますが、それにしてもその他全てがここまで上手く行っているのは、多分他のトランスジェンダーの方からすると、本当に奇跡的で有難いレアケースじゃないかと思っています。

 

まだまだ治療は半年も経ってないし、女性としての振る舞いも沢山身に付けなきゃいけない事もあるし、まだまだ進化しなきゃと思うけど…

 

でも私は今とても精神的に開放されて幸せです🥰

 

さて次回は、ちょっとこんな私の現状を踏まえて、最近のトランスヘイトや差別に対して、私の思った事を少し書いて見たいと思います。