【パス度】についてのマウント合戦みたいなのをちょっと目にしたので、私の雑感を少し書いてみます。
【パス度】って何ジャらホイ?🤔って言う方もいますよね?
大丈夫。ちょっと前まで私の感覚も似たようなものでしたから笑
女装さん界隈の方々からも良く耳にしますし、良く目にするし、ftmさんやmtfさんというトランスジェンダー界隈でも、良く耳にする言葉です。
意味合いとしては、所謂、埋没出来る度合い
みたいな感じでしょうか。
私自身はね、まだモデルのオーディションを受けた頃に、主催のハイクオリティさんが【パス装】と言う言葉を使っていたので、そういう言葉があるんだな〜って、言葉としてはその時にようやく知った感じだったかと思います。
自分自身ではね、まだ受診していない頃は、自分の男性性がとにかく嫌だったから、長い間どうにかベースの自分を中性化したい気持ちで生活していたんです。
でもね、メイクしたりしてきちんと異性装した上で外に出始めたときには、外に出るからには自分なりに目立たないように、周囲に溶け込めるようにって考えていて、所謂先述の【パス度】に近い?溶け込む事を、いつも考えていました。
ただ、私が考えていたのは所謂パス度とはちょっと違っていて、奇異な人に見られない、怪しい人に見られないっていう事を優先して意識していたんです。
パス度と言うよりは、男っぽい女の人なのか女っぽい男の人なのか、これはどっちに見られても構わないという感じ。
まぁ当時は中性を標榜していましたから😅
とにかく男性そのものとして認知されたくなかったのが、当時の私にとっての主題でした。
どっちかわかんないけどカッコイイ人、どっちかわかんないけど可愛らしい人、みたいなものを目指して、努力していたと思います。
私はバイナリーなので、勿論本当は女性になりたかったんですけど…
当時の今以上に劣等感の塊だった私には、女性になるとか女性で暮らすなんて、到底無理だと感じていたんです。
だから自分を許せるギリギリの妥協点として、中性を目指していました。
その後、このブログでも書いてきたように、色々な経験や知識を得た事、世の中が変わってきた事で、少し自己肯定感を得られるようになって。
ようやく、自分も女性として暮らしたい、悔いなく死にたいと言う勇気を持つ事が出来て、受診を経ていく中で、自分が目指す目標が変わっていきます。
色々な後押しが重なって、ずっと自己否定の中で生きてきた私が、ちょっとだけ強欲になって、女性として生きる道を選択出来たのかな〜って思っています☺️
で、表題の【パス度】について、ちょっと私の考えるところを書いてみます。
まぁこれってね、一般的には視覚的な評価というか、見た目の事を指して使われる事が多いと思います。
声なんかもそうなんですが、こちらは、別途【声パス】とか言う人がいるくらいですしね。
先述したように埋没出来る度合いなので、本来は容姿も声も所作も全てを含めての話なんですが…
で、他人の事を「パス度が低い、パス度が高い」みたいに評価する人が、ヘイターと呼ばれる人達、普通のマジョリティの方々、トランスジェンダー当事者の中にもいたりするわけです😣
嫌ですねぇ…
まぁパス(埋没)の度合いですから、自己評価するものではないし、指標が他者評価なのはしょうがないんですが…
でも、評価が高かろうが低かろうが、言葉として評価される身としては、感じが良くない言葉ではありますよね😢
特にトランスジェンダーではない、一般のシスの方の中にも、男っぽい人、女っぽい人っているわけで…
なかなか他者から外見の評価されることって言うのは、誰でも嫌だし、そもそも失礼な事だと思います。
でもね、トランスジェンダーの場合は、異性として生活していく中で、この他者評価を受け入れて、ある程度意識せざるを得ないのが、現状の世の中なわけです。
本当は本来そんなのはセクハラなんですけどね😫💦
でもね、現状で私のような移行中のトランスジェンダーが、問題なく社会に溶け込んで(所謂埋没して)生活していく為には、この他者評価を意識して、確認、判断しながら生活するしかないんです。
女装さんの場合はね、ベースに男性としての生活があるので、異性装は瞬間的というか一時的な変身なわけで…
だから女装さん達に関しては、それほどパス度を意識しない方が一定数いるように見えます。
意識している方も生活ではなくて、異性装している間だけの事ですから、私のようなタイプとは、パスの捉え方の感覚がかなり違うと感じます。
そこに生活のベースはないから。
この外見の他者評価って先に書いたように本来はセクハラなわけで…
受ける人間としては、とても理不尽で不自由な事ではあるのだけれど、トランスジェンダーにとって現状ではしょうがない部分が有るのも事実なので、私も受け入れて生きています。
でね
見た目の顔とか、スタイルみたいなものって、普通のシス女性の方でも、なかなか人それぞれにコンプレックスあると思うんです。
それが、私のようなGIDの場合は、ベースに性違和、身体違和があるので、元々とても顕著なんです😢
自己肯定感0からのスタートですから。
だから頑張るんです。
GIDの皆さんは、ftmさんだったら胸オペしたり、HRTしたり、SRSしたり、筋トレしたり、髭をはやしたり。
mtfさんだったら脱毛したり、HRTしたり、SRSしたり、整形したり豊胸したりね、それぞれが色々な方法で努力して、外見を異性に寄せていくわけですね。
声なんかも、ボイトレしたり声オペしたりね。
ただ、これ全部やると、周囲の認知はかなり変わるとは思いますが、なかなか体力的にも経済的にも大変な事でもあります。
一気に出来る人は限られた人ではないでしょうか。
で、私が思うにもっと問題なのはですね、実はこれ全部やったら、必ずパス出来るかと言うと、そうではないと言うことなんです…
見た目って、単純に初対面の一義的な判断に影響するだけだから。
それも勿論大変に重要な事ではあるけれど、生活するって言う事、人と付き合う人間関係というのは、相手が一見さんだけじゃないですから。
実際の生活においてはね、例えば声なら話し方やアクセント、言葉のチョイス、話す時の表情なんかは、声そのものよりも人の印象を左右したりします。
例えば、歩き方や立ち方、所作でも印象が全然違ったりします。
スタイルだって良いに越したことはないけれど、姿勢で見え方って全然違いますよね。
顔もね、話し方や表情や仕草で全然イメージが違うわけです。
こういうのって、日々意識して努力して変えていくしかない事で、意識して習慣化していかないとなかなか身に付かないものですよね。
正直、自分自身でどこまで見についているか、今でも全く自信がないです😭
だから自分の歩く姿、動く姿なんかも、実はちょいちょい撮影して確認したりしています。
学術的にも所謂RLEが重視されるわけで、私はこういう所作みたいな部分は、日々の練習や経験の中で培っていくしかないものだと感じています。
やれ高齢トランスは〜とか、もう体格的に高身長は〜とか、デブは〜とか、年齢や体格や容姿で差別したりする人は一定数いて、差別者は勿論、トランスジェンダー当事者の中にさえいるのを、本当に度々目にしたりします。
でもね、これって写真一枚一見しただけで評価するのは凄く難しいし、容姿も所作も性格も、それぞれ個人差がとても大きいので、属性とか何かのカテゴライズして言ってもしょうがないのにな〜って、いつも思いながら私は見ています。
私は自分の事で精一杯なので、人の評価を出来る立場じゃないし、あまり他人を評価する事自体が気分の良いものではないので、そういう他者評価をするような、極めて個人的なお気持ち表明に参加する気は、初めからないのです。
だからね、「雨さんから見て私どうですか!?アドバイス下さい!」って聞かれても困っちゃう。
まぁ可愛いと思えば可愛らしいって言うし、カッコイイと思えばカッコイイって普通に言いますけど、それ以外のネガティブな感想は、たとえ個人的に目に付く事があっても、伝えるのはご遠慮したい気持ちです😢
だって私は指摘出来るような立場じゃないし、悩んでいる人は、自分に足りないものは自分が1番気にしているはずだもの…
目指すところも、必要なところも、人それぞれ違うだろうし、自分もコンプレックスだらけの中、努力している最中なのに、そんなのなんとも言えないですよ。
私が、差別するような言動をする人や、人を蔑むような事を言う人を見て、いつも思うのは
「人の事を言えるなんて、自分に相当な自信があるの人なのね…フォ~!Σ(゚Д゚)オドロキマシタ」
という感想だけです。
私が女性として生活するようになって、今までよりも更に自分の中で大事にして努力している事は、肌や髪や体型みたいね外観は勿論ですが、それ以上に物腰や仕草、人当たりみたいな事に気を付けて、感じの良い人だな〜って思ってもらえるように生きる事です。
とても難しいんですけどね(´-﹏-`;)
でも結局ね、社会生活で受け入れてもらえるって、私はそういう事だと思っています。
私はね、GIDだから勿論本来の自分らしく生きたいと願ってきたけれど、それはただ女性として生きるという事だけじゃないんです。
私はGIDであると同時に普通の人間でもあるから、周囲の人と仲良く自然に付き合って、豊かな人生を生きていたいのです。
だからね、私にとってはパスって、自分の周囲の社会に、きちんと受け入れられて生きれる事なんだと思っています。
勿論、職場で疑いなく旦那や子供の話題を聞かれたり、振られたりする経験なんかは、周囲に女性として認知してもらえているという確認が出来て、とても安心する嬉しいものです。
けれども、それってその瞬間にそう認知されたという事実だけであって、実際にはその後も生活や人間関係は続くわけで。
そこからが本当の生活で、そういう関係が続いて、普通の他愛もない話もして、普通にそのまま付き合えていく事がもっともっと大事で、そうできる事がとても私には嬉しいのです。
そうして行く事で、やっと私自身も落ち着いて、自信を持って暮らせている実感がわくんです。
どこまでも切りが無い目標ではあるけれど、私はそうやって、周囲の方に受け入れてもらって、仲良く歳をとっていきたいな〜って願っています。
だからね、あの人の、○○の人達のパス度が低いからどうだとか、そういう批判を見ると、傍から見てるだけでも良い気はしないし、貴方も貴女も、自分自身をもっと顧みた方が良いよって、思うのでした。
そういうことばかり言っている人って、ちょっと可哀想な人なんだな〜って感じるのです。