150回目になりました。パチパチパチ🎉
どうも、アン・ハサウェイです。(怒られろ!)という事で純散歩風に始めてみました🙃
最近のトピックで、先日、会社の研修でコミュニケーションに関する研修があったのですが、この研修の講師の方がですね、実はトランスジェンダー(MTF)の方でした。
水商売をされていて、戸籍変更、ご結婚を経て、夜職を辞められて、改めて学び直してから、ご自身の夜の経験も活かしてコミュニケーションについて講演なさっているという感じの方。
まあこの方の経歴はともかく、看護技術や医学的なもの以外の、こういう講演とか勉強会みたいなものは、会社等て何かが無いと私は経験しないので、興味深く真面目に聞いて参りましたよー。
最前列の真ん中で!🤗
はい。ちゃんとスーツでいきましたよ?🙃
で、今回講師の方の経歴のお話を聞いて、色々ね、私が知っている方と年齢や経歴が似ていらっしゃるのに気が付きまして…
そんなわけで、ちょっと今回のお題について少し考えてみたので、私のわかる範囲で少し触れてみようかなーって思ったのです。
よくね、日本にLGBT差別なんてないだろ!日本は歴史的にもLGBTに他国より寛容だ!みたいに言う人いますよね?
そんな事ないし、当たり前の事が難しくなる事は、感情論だけじゃなくて、制度的にも法的にも差別的な制度はあるっていうのは事実なんですよーんよんよん。(努めて明るく言っておきます🤯)
だからこそ、私はしないけど、それに対して戦う方も勿論沢山いるのです。
ただ、私はそのあたりの運動はしたことない(する知識も力もない)ので、今回書くのはそういった包括的な話ではなくて、私の経験した事や見聞きした事だけに関するお話です。
先ずはこの講師の方と私の友人について、私が似ていると感じた経歴の部分をちょっと考えてみます。(私と似ているわけではありませんよ?)
先ず彼女達は私よりも一回り程年下なんですが、年齢がとても近いです。
そして10代そこそこの若い時期に夜の世界に飛び込んで(所謂水商売やショービジネス)生きて来られています。
そしてSRSをした後に、時代の移り変わりで特例法が出来たことで、やっと事後的に戸籍変更をされている。(特例法前にSRSをされている)
それに伴いご結婚もされる。(戸籍変更が出来なかったら、今も当時も、バイナリだと同性婚になるので特例法がなかったら、今も男性とは結婚は出来ません。)
その後、夜のお仕事から離れ、昼間のお仕事をされる。(結婚や年齢が一因かと思われます。)
現在は人前に出る活動をされている。
みたいな感じです。
あれれ?なんか不思議じゃない!?
これね、たまたま私が知った人でたった2人だけでしょう?って言われてもしょうがない事例数なんですけれど、芸能界などにいる有名なトランスジェンダーの方も、初期の流れは似ているように感じませんか?
トランスジェンダーなんて周りにいないし、よくわかんないよ!って言う、全く知識のない皆さんも、このような変遷の生き方の話を、どこかで聞いた事があるんじゃないかなー?って思います。
私もね、まだ知識が無かった頃は、もし進むなら新宿二丁目とかで水商売やショービジネスの世界で生きるしか無いのだろうなとイメージしてました。
生涯で初めて着たドレス姿😂
だから当時普通にサラリーマンとして在職トランス出来るイメージは全く持てなかったんです。
何故?
私の10代20代当時、そんな事が可能になるような社会的な土壌は皆無で、ゲイだろうがレズだろうが性同一性障害だろうが、みんな一緒くたで、オカマ、オナベみたいな扱いで、変態、或いは色物としか捉えられていなかったと思います。
もしオープンにしたなら、そこに甘んじなければ社会生活を普通に送れない社会風土でした。
本当にそうだったのよ?
だからね、性違和があれば有るほど、それを否定する為にわざと男性らしく過ごしたり(例えば自衛隊に入隊するとか、格闘技やるとか)結婚したらどうにか治るのではないかと考えたりね。
私が他のトランスジェンダーの方と少し知り合うようになって、同年代の方々のお話を聞くと、そういう人生経験ばかりを聞いています。
そうしないと社会的に排斥というか、一般的な社会生活を送るのが困難だったの。
非日常的な世界(水商売やショービジネス)を除いては、まぁ実際そういう世の中でした。
それでも、そういった非日常的な世界で生き抜く人達でも、一般からの見方は、言っても色物でしたよね。
ムリムリムリムリ
私はどうだったか?
私もね、身体を鍛えたりして、無頼に生きる!みたいに考えて、色々転職したりもしました。
どうにか男性らしく見られようと努力した10代、20代だったと思います。
大学後半の髭で強面だった頃
もし自分をオープンにしたら、田舎だったら村八分とかね、そこまでいかなくても後ろ指はさされて当然、お家によっては勘当なんてことも不思議じゃなかったと思います。
まあ令和の今でさえそういう人残ってますよね…
うちもそうだったの。
若い頃、テレビやなんかで性的マイノリティの方がでているだけで、不快感を示して蔑むような母でした。
私の若い頃ってそういう時代ではあったし、私の家もそんな環境でした。
彼女達2人は、私より一回り若いから、10年以上違えばマイノリティの社会的な認知度が違ったり、私の頃とは多少は違うのかもしれないけれど…
それでもやっぱり彼女達の時代でもまだ、ある程度私の若い頃に近い環境だったんじゃないかなーって思うのです。
そうだとするとね、彼女達の選んだ生き方は、なんと言うか他の方法があまり選択肢に無かった故であり、結果似た経過になったなんじゃないかなーと考察されるんですよね。
彼女達が行動した10代の頃は、私は20代の終わりから30代で、男性としてある程度働いて経験を積んでいた頃です。
20代の終わりくらい
当時の環境を振り返ってみると、性同一性障害の概念がやっと入ってきた頃で、性同一性障害として病理化が進み、日本でも性別適合手術が開始された頃なんですよね。
これはこれでね、当時の私には受け入れ難かったんです。
私は精神病じゃないよって。
昔は精神科に対する偏見や差別も酷くてね、例えば治療も非人道的なものも沢山あったんです。
ロボトミーとか電気ショックとかね。
殺人事件とかもあったし、興味がある方は調べてみてください。
精神病院は刑務所より酷いって言われたくらいの時代ですから…
実際鉄格子があったり、隔離して自由を奪うのが当たり前で、治療というよりは隠すものだった。
だからね、少なくとも私の生育環境においては、精神科にいくのも、行くだけでこれはまた別の意味で村八分みたいな文化だったから、私が行くことはありませんでした。
言い方は悪いけれど、お利口さんと言うか聞き分けが良く育ってきた私は、変態や色物になれず、無頼にもなれず、かといって精神科の患者にもなれなくて。
フワフワと、どうしたらよ良いかわからないまま、社会的なスタンダードを逸脱しようとしながら、しきれずに生きてきたんだと思います。
基本的に臆病なんでしょうね。
鬱になった時も、前述したような今とは違う環境だったから、紹介されたけれど精神科には通わなかったくらい。
多分運が良かったんでしょう。
よく死なずに済んだと思います。
でもね、社会的な認知や人権意識が世界的に少しずつ変わってきました。
日本でも法律も一つ一つ少しずつ変わってきて、社会的な状況は変化しつつあります。
私の知っている期間だけでも、二十年三十年四十年前から比べると、今は隔世の感があります。
だからこそ今の私が、今のように生きていられるんです。
これは頑張ってきた先人や研究者の協力の賜物で、本当に有り難い事です。
頑張れてるよ!みんなありがとう
かなり話が本題から背景にそれましたが、私の仕事のお話でしたね💦
前述したように、私には彼女達のようなルートを歩む術はありませんでした。
勿論可愛くもなければ、アルコールもアレルギーだしね笑
家族にそういった業界で働くなんて言えるわけがなかったし、出来るはずもなかった。
そして家は離れたかったけれど、家族を捨てる選択肢も無かった。
私は自分が行かなかったから偏見があるかもだけど、私のイメージする夜職って、自分が商品になると言うか…
身一つで不特定多数の方を相手にしたり、人前で何かをするっていうイメージなのね。
私にそんな事が出来るっていう発想も勇気も、自身の希望も当時は全然無かった。
キラキラしたものが縁遠かった私には、寧ろ苦手な世界に見えたんですよね。
まぁ、今でもどちらかと言うと苦手かな🤔
番組制作、教育、人事、設計、不動産営業、施設管理
色々な業界で働いてきたけれど、私のしてきた仕事はどの仕事も男性主体だったし、私もその中で働いてきました。
実はね、彼女達がそういった世界に飛び込んだ頃に遅れること5〜6年でしょうか、私は1度社会からドロップアウトします。
当時は結婚していて、でも色々上手くいかなくて離婚したんですけど…
上手く生きられなかったダメージはやっぱり大きくて、お相手の方にも時間を奪った形になってしまって…凄く落ち込みました。
まぁセクシャリティ以外にも色々問題があったんですけど、そこで私は鬱になります。
仕事を辞めて(通えなくなって)、人に会わないバイトやなんかを転々としながら、最低限なんとか生きていた感じの時期が1年くらい続いたのかな…
しょっちゅう吐いて、しょっちゅう仕事に行けなくて、ご飯もあまり食べられなくて生涯で1番痩せていたと思います。
当時の私の様子を知る友人や家族は、私がこのまま死ぬんじゃないかって心配してくれた事を、よく覚えています。
色々な人に支えられて、次第にバイトから始めて、少しづつ社会復帰出来たのは、もう少しかかりました。
そうして、やっと働く事が出来るようになってから、自分を少し労ろうと意識するようになり、中性であろうと考え始めます。
そして看護師になろうと決めて。
私の場合は在職でカミングアウトした時はね、もう受診もしていて診断も出ていて、トランスジェンダーとして歩む事を勿論決めていたんですけど、私は周囲に合わせるタイプで臆病なのに、何故そんな事が出来たのでしょうか?
私ね、ある意味ズルかったんだと思うんです。
当時の私は、仕事場と実家以外の友人やご近所さん、日常の外出では既に女性だと認識されていて、男性籍で男性としてふるまっていた仕事場でも、現場レベルでは仕事中でも間違われたり、あの人は?って言われたりしていた状況でした。
だからね、カムアウトした時は「ああ、やっぱりそうだよね」だったし、その上私は…
上手く行っても行かなくても、この時の仕事場は遠からず辞めるつもりだったんです。
当時介護問題が重なったり、父が亡くなってしまった事もあって、凄く生活の負担が大きくて、本当に自身の体調も悪かったし、問題への対応でとても時間が必要だったから。
だからね、ちゃんと仕事場を辞めるつもりもあってカミングアウトしたんです。
勇気ある告白と言うには、色々ズルいかもしれませんね。
もっとずる賢かった?というか冷静だったのかはわかりませんが、辞めてから次の職場で働く事に対しても、私にはある程度目算がありました。
転職した事がある方は分かると思うのですが、一般的に転職って、受給のパワーバランスによって、かなり採用の合否が左右されますよね?
あとは必要な人材かどうかは、スキルや経歴、それから人柄?なんかで判断されることが多いと思います。
ただね、トランスジェンダーだとカミングアウトして面接にいく場合は、先ずそこなんです。
初めて対応するタイプの人だ!って言われるのが普通なんですよ。
数がそもそも少ないですからね💦
会社側も、先ずそこについてが主題になりがちなので、就業の不利があったり、圧迫を受けたりする事例があるのだと思います。
誰だって面倒はごめんだもの…
時代が変わり、トランスジェンダーの認知度が以前より広がったとはいえ、前の法人でも、今の法人でも、私は初で唯一のトランスジェンダーでした。
経営者やニューハーフバーみたいな水商売の方はともかく、それら以外で働くトランスジェンダーの友人達もだいたいそうです。
戸籍変更している方は、別にトランスジェンダーだと告げる必要はないし、また別の話ではあるのですけど。
で、私の場合はどうだったか。
今書いているような事を詳細に予測したり計算していたわけではありませんが、先に書いたように私自身、ある程度の目算と言うか、なんとかなるだろうとは考えていたと思います。
当時面接に行った時
先ず職業柄、職場柄、非常に人手不足が状態化している職種であり、資格と臨床経験がちゃんとあるだけでも、受給バランスで言えばかなりの売り手市場だと言うことが一つあります。
そして職場的には一般に比べると、医学的知見がある程度ある方が多いので、前述したような先ずはトランスジェンダーとは?みたいな否定的な部分が、一般的な会社より多分少ない事も有利だったと今は考察しています。
でもね、実際に私が当時考えていた事はそんな事じゃなくて、論より証拠みたいな事でした。
ああ、この人は真面目に女性なんだねって
伊達や酔狂で性別移行しているわけじゃないんだなって捉えてもらう事です。
それはね、パス度で殴る的な、見た目や所作や話し方も勿論大事なんだけど…
やっぱり人となりというか、誠実な感じや雰囲気が重要なんだと思っていて、真面目にやってきた自負はあったの。
そして私にとって、強力な背景となる重要な条件の一つだったのは、私の中では改名した名前でした。
これはね、名は体を表すじゃないけど、私の中では改名ってかなりのウエイトがあって、普通の方から本気なんだなって感じてもらえる要素の一つだと思っていました。
伊達や酔狂で普通改名したりしないでしょう?
私が真面目に本気て移行しているという証左になるというか、姿かたちと名前だけでも、説明が少なくても伝わると思うんです。
念の為に面接では診断書や判定会議の治療許可書類とかも持参しましたけど、そんな確認には及ばない形でスムースにお話が進んだのは、見た印象と名前だったかなって思っています。
私自身も、改名出来た時は、色々な生活上の不都合が少し解消される事を思って嬉しくてね。
やっぱり泣きましたもの。
私のトランスジェンダーとしての仕事の歩みの経験はこんな感じで上手くいっているように思っています。他にもね、色々な道があるし、私もまだまだ道半ばだけど、みんな頑張ろうね。
シスの方と同じとは言えないけれど、偏見無く働ける場所はきっとありますから諦めないで。
イケルイケル
一人ひとりが自然に受け入れられて、普通に生きている事自体が、どんな活動よりも、だんだん世の中が法的にも制度的にも文化的にも、改善していく一助になるのだと私は信じています。