雨桐悠生 雨さんの軌跡 (女性として生きる事を選択した人の奇跡)

半世紀過ぎてからGIDでMTFだと診断された人です。化粧品のアンバサダーモデルもやってたりします(*´∀`*)

MTF日記 とりあえず番外

どうもーケイト・ブランシェットです(超怒られる🥺)

 

あれから母との関係は変わらず良好な感じで、買い物行ったりしても「お前これ似合うんじゃないか?」みたいな感じで、母と娘という感じでコミュニケーションが取れているみたい🫣

そんなわけで以前にも増して、私の精神面も落ち着いた感じで過ごしています。


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まぁ近々1年以上ぶりにメンタルクリニックへ向かうので、その時はまたmtf日記的な記事がかけるかも知れないんですが…

今は一連の家族とのトピックが落ち着いて、とても幸せな感じです。

 

お友達もね、女友達とご飯に行ったり買い物に行ったり変わらずしていますし、仕事場の皆さんにも相変わらず仲良くしていただけていて、嬉しい限りです。

 

ただ仕事の方がね、ちょっと大変で。

4月から新年度じゃないですか?

まぁ感染対策やら自己防止やら4つくらい色々な委員会の担当を仰せつかりまして…

会議に加え、研修会や、勉強会も開催するよう仰せつかったので、かなり仕事量が変わるのです。

私は看護師の仕事は、現場仕事が好きなので、その点だけはちょっと憂鬱💦

まぁしょうがないんですけど。

実は夜勤の定時も変わるので、勤務時間も長くなるんですよ😵‍💫

まぁ最近の私はこんな感じです。

 

日常以外の最近の近況で言えば、久しぶりに新宿まで行って、待ち合わせで違う改札から出てしまい、迷って方向音痴ぶりに呆れられたり…😥

20年来の馴染のお肉屋さんがあってね、ずーっと通っているのに、実はこの4年以前の私は来て無いことになってて、私はここ4年で来始めた、新客の女性だと思われていた事が分かったり…😬

そういう小さな衝撃トピックはありますが笑

まぁ仕事ばかりしているのは間違いないです笑

 

そんなわけで、近況だけだとアレなのですが、あまりにも間が開いているので、短いけれど一つ置いておきます😵‍💫

 

MTF日記(155回目) 兄の助けと、娘と呼ばれた日

はい、どうもマッド・デーモンです(怒られろ!😥)

ということで今回は最近の続きで、実家との家族関係のお話。


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著者近影笑

 

先日は母の電話に出て、無事仲直り出来たわけですが、電話だけだとなんとなくまた直ぐ繰り返しそうな気がして心許なかったので、実家に顔を出してみる事にしました。


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こんな感じで笑

 

予告しないで、夜に顔を出したんですが、母は嬉しそうに歓迎してくれて、色々な話をしました。

私の子供の頃の話、学生時代の話、学校を出てから家に寄り付かなくなった私に対して思っていたこと。

母と父の若い頃の話、私の知らなかった父の裏の顔?の話等々。

そしてね、私と揉めたこと、仲直りしたことを長兄に相談したらしく、その時の話も聞きました。

兄は私と違ってしっかりしていて、頭が良くて母の信頼も厚いですから、私と揉めた後に私と連絡がつかないので、心配で兄に相談したようでした。

 

私ね、自分では子供の頃や学生の頃、性別違和の自覚はあっても、殆ど表出していたつもりは無かったんですけど…

母の話を聞くと結構端々に表出していたようです🤔

 

振り返って、私自身は自覚が薄かった時期もあるし、自覚があってからは隠していたのもあるし、そんなに具体的に覚えてはいなかったんだけど、母の話を聞いていたら、あーそう言えばそんなことしていたな〜とか、そういうのが好きなの隠して無かったな〜とか…

まぁまぁ意外とゆるゆるで、時々表出していたみたいでした。


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例えばね、すっかり忘れていたけれど、小学生から高校出るまで私が使っていた筆箱は、こんな感じのソフビっぽい生地のキキララのデザインで、色々なところが開くやつを使ってたとか。

母に言われるまですっかり忘れていて、聞いたら「あーそうだった!」みたいに思い出して。

学生時代は、ずーっと強面でやってきた記憶だったけれど、言われてみると実際は、こんな事を平気でしてたんですね🤐

 

母と私が電話で揉めて、泣き叫びながら感情を崩して携帯を壊したあの日。

私と電話が切れた後、母はどうしたら良いかわからなくて、兄に相談したみたいでした。

(母の相談相手が父じゃなくて良かったのかもしれません)

 

兄はね、母に対して私の事を、「あいつがGIDだなんてとっくに知っていたよ」って言っていたらしいです🤯

兄は昨年まで30年くらいカリフォルニアにいたからか、元々わりと知識があったみたいで、母にHRT治療や性別適合手術についても少し説明したみたい。

 

母は兄から

「◯◯は少し珍しいマイノリティではあるけど、お母さんが思っているより、結構そういう人はいる。」

「俺はとっくに知っていたから、◯◯が喜ぶと思って、肌に良いサプリとかあげてた。」

「向こうでは表出するのは割と普通の事だけど、ここは日本だし、家族にはなかなか言えなかったんだろうと思う。」

「だから、◯◯が自分を出せているってことは、あいつがよくよく考えて出した結論だろうことは考慮して上げてほしい。」

「あいつはとても恵まれていて、カミングアウトしてから友人や会社、周りの人に受け入れてもらえているし、ちゃんと暮らせている様子だ。そうではない人も沢山いる。」

「恵まれているあいつのトランスの障害は、老いた母親だけかも知れない。」

「◯◯を元町にでも連れて行って、お母さんと一緒に服でも見たらきっと喜ぶと思う。」

 

母からは、こんな感じで、兄に母が言われた言葉がどんなだったかを聞きました。(嬉しかったよ、お兄ちゃん)

兄に言われて、母は自分が私の唯一の障害だったのかと凹んだと言っていて、それを聞いてちょっと私も、なんだか母に申し訳ない気持ちに💦

 

私からはね、時代もあるし、私にも母にも知識が無かったし、知識を得て自覚がしっかりしてからも、カミングアウトについては何度も取り合ってもらえなかったり、否定されてきた事もあるけれど、私自身も昔は無理だと思っていたし、元々母もだけど父の方が難しいと思っていたし、兄はともかく次兄も難しいと思っていたから、母だけのせいじゃ無かったんだよって伝えました。

母は次兄も大丈夫だっただろうって言っていたけれど。

 

その後母がね

「私はさ、娘が欲しかったってずっと思っててさ、よく考えたら娘ができたんだなーって思ってね。

息子の嫁さんより娘が新しく出来た方がずっと良いなーって、お前のことを考えていて思ったんだ。」

って言ったんです。


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この日実家にいくことはちょっと不安だった

 

息子のお嫁さんと私を比べる発言とかは、私が好きじゃない母の1面が出てしまってはいるけれど…

それでも、私の事を「娘が出来た」って初めて言ってくれたのは、とても嬉しかったんです。

多分母の意識の中ではね、本当は死ぬまで私は「可愛い息子」なんだろうなって私は思っていますが…

そうだとしてもね、口に出してそう言ってくれた事が、私はとても嬉しかったんです。

 

それから、父の生前の話をいっぱいして。

父の浮気まがいの行動で起きた夫婦危機の話や、父の仕事場での(自衛官時代)完全なセクハラの話(当時は問題にならなかったみたい😣)とか、私の知らなかった父や全然覚えていない父の話を聞かされて

「なんでこれが駄目だって男はわかんないのかなー?」

みたいな話を沢山しました笑

「パパの浮気で私が嘆いた時、兄達は父を擁護していたり三者三様の反応なのが面白かったけど、小さかったお前はパパを非難してママが可哀想だって怒ってた。

あの人はちょっと男尊女卑なところがあってね、

女は男より劣ってると思ってたんだ。

優しいんだけど、お前らには無理だから俺がやってやるみたいな目線でさ。

お前も優しいけど、お前はそういうところが全然ないだろ?

それは、私の教育の賜物かと思ってたんだけど…

お前が女だったからなのかもね笑」

と母は笑っていて、暫く2人で男女差みたいなことについて、思うところを話したりしました。

楽しく話しながら、質実剛健だと思っていた父の1面を聞いて、実は私ちょっとショックだったりしたけど😵‍💫

 

それから母に、沸いているからお風呂に入って行くように言われて、お風呂に入る事にしました。


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お風呂の後で帰る前の私

 

今までも実家に行く度に、お風呂入っていけって良く言われていたんですけど…

私ね、以前書いたように、治療を始めてから変化していく身体のラインを見せるのは、母の機嫌を損ねてしまう気がしていたから、いつもお風呂は断っていたんです。

実家に行くときだけは、昨夏くらいまで、極力男性的にしていた感じでしたから。(だんだんと慣れてもらうように少しずつ頑張って変化させてはいましたけどね😶‍🌫️)

お風呂はね、勿論例え家族でも、身体のラインを見られるのがちょっと恥ずかしい気持ちもあるのも事実で。

だから今回の決断は、私にとってちょっとした思い切りが必要だったのですけど…

 

ここ最近でこんなに話して、母の受け入れ方も変わってきているし、私の身体の事をとても心配してくれているから、ここは入った方が良いかなって思ったんです。

別に全裸を見せるわけじゃないし、お風呂上がりの薄着での身体のラインやなんかを母が目にすることになっても、実感として私が治療しているんだなって事も母に伝わるのかなって考えて。

母がショックを受けないか、ちょっとだけ不安もあったけど、いずれ分かることだし、そうしたらまた沢山話して、時間をかけて分かってもらえば良いかなって腹をくくって。

 

幸い、母はお風呂上がりの私を見て

「胸も綺麗に出ててよいねー。」

「私のはもうたれちゃってがっかりだよ笑」

「昔は胸の形が綺麗で、可愛くて好きだってパパに言われてたんだ。」

みたいな謎の自慢話を聞かされて、2人で笑ったり出来ました。


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お父さんの話はちょっとショック

 

今後また、母の私への捉え方が、後戻りすることもあるのだろうと覚悟し直していたけれど、あまり絶望的な後退はしないでいてくれそうだなーって、少し安心出来た夜になりました☺️


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お風呂の後に母から「お前は綺麗な顔してる」っていわれたの。

まぁ今回も、もっと早く明かしてくれればって何度も言われてしまっだけど…

もうおばちゃんでゴメンよ🥲

MTF日記(154回目)ジェットコースター

どうも、吉岡里帆です(怒られろ!😐)


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眼鏡市場行きたいな

 

ちょっと連日、感情が表題の通りジェットコースターみたいな私です。

 

前回は雪解けの記事の2日後、母から電話がかかってきて

 

「やっぱりお前の事がよくわからない」

「あんなに男らしい子だと思ってたのに、そんな風に悩んでいたなんて分からなかった」

「性転換するなんてもったいない」

「その歳で手術する必要があるのか?無いと私は思う」

「女性で暮らせるだけじゃ駄目なのか?」

「女性のような男性じゃ駄目なのか?」

「そこ(手術)までするのはおかしいと思う」

 

等々、もっと酷い表現を交えながら、高圧的な物言いで、罵倒され。

私はショックで…

意見されるがままで、ほとほと参ってしまいました。

 

だって【雪解け】の時にあんなに嬉しくて幸せだ

ったのに…

 

本当は何も伝わらなかったのだと失望して、本当に死にたくなった。

まともに声も出ないし、息も苦しくて泣き叫んて電話を切って。

 

当日も翌日も泣いて過ごして、どうにもならなかった。

何十回と母から着信があったけど、同じように罵倒されるのではないかと思い、もしそうなら…

これまで何とか回避してきた絶縁を、本当に選ばなければならないと、怖くて出られなかった。

 

暫くして、「ごめんね」のメッセージが1通だけあったから、ひょっとしたら謝ろうとしてくれているのかも知れないとも考えたけれど。

電話に出たらまた同じ事になる気がして、怖くて出られなかった。

夜も、翌日も、電話が鳴る度に苦しくなって、発狂しそうでとても出られなかったんです。

 

幸い仕事が超絶忙しくて、忙殺されて

おかげで、翌々日は仕事をこなす事が無事に出来て。

少し心理面も落ち着いてきました。


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全然定時に帰れない

 

それから、懇意にしている方からも、心配していると連絡を貰ってしまい、少し安心してまた泣いてしまったけれど、母からの理解への期待を、以前のレベルまで少しずつ下げていきながら、日々冷静になるしかないと思えました。

母が何を言おうと、もう母からの理解は金輪際期待しないで、私自身がずっと頑張るだけだよねって。

 

そして、その後も毎日何度か鳴っていた電話に、やっと恐る恐る出てみる事にしました。

ずっと無視するわけにもいかないと思ったから…

 

〜〜〜

 

私◯「なんでしょうか」(冷静に冷静に)

母★「やっと出た!なんでしょうかってお前…アレだよ。何か私がお前を傷つけたみたいで悪かったよ。ごめんよ!」

◯「何かって…はい。で、今日はなんでしょうか」

★「そんなに怒らなくたって良いじゃないか!あたしはお前の事を考えて、いつもお前に愛情を注いで育ててきたのに、お前に無視されたらどんなに私が辛くて悲しいかわからないのかい?」

◯「愛情がある事は知っています。育ててくれてありがとうございます。

でももう、もういいんです。

お母さんはね、自分が何を…何を私に言っていたのか…(このあたりから冷静になれずに泣き出しちゃいました💦)

あれだけ話したのに…

貴女があんな事を私に言えば私がどう感じるか…

どんなに悲しかったか…

自分が無視されて辛いって、なんで私が電話をとれなかったか、それさえもわからないのでしょう?

そういうのもういいですよ…」

★「だからごめんって言ってるじゃないか!私はお前が変な事にならないか心配しているだけで…」

◯「変な事って何よ?!(この辺からブチ切れて泣き叫んでた感じ…)

心配して愛情注いでいるからって、私はお母さんの言う通りにしなきゃいけないの?!」

★「そうじゃない!そんなこと言ってないけ…」

◯「言ってる!今までもそうだったじゃない!だからこの歳でやっとなんだよ…

お母さんは今更って言い放ったけど、私からしたらやっとなの!

もう私には時間がないの!

私の人生なんだよ!」

★「泣くんじゃないよ。泣かないでよ。

お前の人生だなんて、そんなのわかってるよ。

お前に元気でいてほしいだけなんだって」

◯「じゃあなんで、あんな事言うの!

私実家で話した時、本当に嬉しかったんだよ?!

分かってもらえたんだって、もうありのままで良いんだって!

なのに…あんなこと言うなら、また振り出しじゃん!

また私が縛られるだけじゃない!だからもういい!

もう理解出来なくて良いから、せめて私を閉じ込めないで!」

★「悪かったって…ごめんって。

私を見捨てないでおくれよ。

悪かったと思ったから謝りたくて電話し直してたんだよ。

だから私を諦めたような事言わないでおくれ。

親子なのにこのままじゃお前と連絡も取れなくなると思ってね。

絶縁とかそんなの駄目だと思って何回も電話してたんだよ。

ね?親子なんだからさ、このままじゃ駄目だろう?」

◯「…だから…私我慢してきたんんだよ…」

★「うんうん、私やパパがお前にずっと我慢させてきたんだよね。

私お前が電話に出ない間、凄く心配でさ、もう連絡も取れないんじゃないかって。

死んでないかって。

お前あんなに泣いてたからさ、私が傷つけたんだと思って、またお前のこと色々調べたんだよ。」

◯「私に聞けば良いのに…」(少し冷静になってきた感じ)

★「調べたらさ、身体ってちゃんと最後までやった方が精神的にも身体的にもその方が良いんだろう?その方が安定するって知り合いの先生に聞いたんだよ。」

◯「私の事を相談したの?」

★「身体の事が心配だから、知り合いの医者に聞いてみたんだよ。」

◯「自分のことだから…医療者の私だって、ここ5年くらいかけてやっと知識を得たんだよ?

そんな何日かではわからない事があるのが当たり前だよ。

心配な事があるのだったら、私に聞いてくれたらちゃんと答えますから。」

★「手術出来る場所はさ、お前みたいにちゃんとその…証明みたいなのがあっても限られてるんだろう?」

◯「学会の判定会議のこと?国内だと確かにガイドライン通りでも限られてますけど。」

★「保険は効くの?」

◯「現状のルールだと混合診療になるから、効かないです。おかしなルールですけどね。」

★「じゃあお金も大変じゃないの?あ、だからお前貧乏なのか」

◯「また…貧乏とかいわない…

お金は確かに大変だけど、お休みも貯めないといけないの。流石に終わってすぐ働ける手術じゃないから。」

★「だからいつも忙しいのか」

◯「うん…東北行くのに、どうしても何日かは有給使わないとだから、有給があんまりたまらない。転職もしたしね。」

★「そうか、そうだよね。やっぱりなかなか大変だねぇ」

◯「もう諦めませんよ。」

★「それは分かってるよ。身体にもその方が良いみたいだしさ。

ちゃんと調べたから、私だってやめろって言うわけじゃないから。」

◯「そう…ありがとう…」

★「ちゃんと認めてるからさ、泣くんじゃないよ。お前が泣いてると私も泣けてきて辛いんだよ。」

◯「うん…ごめんなさい」

★「お前なんかさ、スラっとしてて良かったよね。」

◯「なんのこと?」

★「うん、お前みたいな人で、体格とかなかなか暮らし難い人もいるって聞いたからさ。」

◯「ああ、RLEのこと?私は仕事はちゃんと良くしてもらえて、きちんと暮らしているから。

お給料は高くはないけど、私の周りは優しくしてくれる人ばかりだから、そこは心配しないでね。」

★「そうか、良かったねぇ。」

◯「酷いこと言ったのはお母さんだけ笑」

★「ごめんって!なかなかわかんなくてさ。お前のことを何度も思い返してさ、小さい頃の話しただろ?」

◯「私が女の子になってあげるって言ってた話?」

★「そう。他にも色々思い返してさ、小学生の時も、高校生の時も、お前が家に寄り付かなくなった20代の頃も、そう言えばあの時もあの時も、お前がそういうふうだって気がつくチャンスだったなって私が感じたことが沢山あったんだよ。」

◯「ええ?…あんなに男らしく頑張ってたのに…」

★「スポーツ万能でさ、お前番長みたいだったし、男らしくなったとは思ってたよ。」

◯「番長ではなかったけど…」

★「でもね、今思い返すと、ああ、そう言えばお前そうだったんだなって思うこと沢山あったよ。今度話してやるよ。」

◯「いいよ…辛くなるから笑」

★「まぁ、気がついてみたらお前が辛かったんだろうなってとても不憫でさ、その上今も身体のことがあるから、心配になっちゃっただけなんだよ。」

◯「手術はね、ホルモン治療の期間とか、お休みが十分にたまる期間とか、お金が貯まる期間とか考えると、今年中にとかいきなりしたりはしないから。

する時はちゃんと言うから。」

★「うん、反対しないから言っておくれ。」

◯「はい。」

★「明日も早いのかい?」

◯「うん、今ちょっと仕事忙しいんです。」

★「そうか。もう傷つけないように気をつけるからさ、ちょっとで良いから家にも顔だしなよ?」

◯「はい。買い物あったら言って下さい。行きますから。」

★「わかった。じゃあまたね。」

◯「はい、また近々いきます。」

 

なんかまた繰り返しみたいだけど

 

また酷いことを言われたり、また謝られて感動して期待したり、繰り返しながらいくんだろうなーって、思いました。

 

でも、きっと母との関係も、繰り返したとしても

ちょっとずつ進んでいるのだろうから

あまりジェットコースターにならないように


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頑張ります。

MTF日記(153回目) みんなごめんなさい

前回の【雪解け】の記事で2日あまり幸せな私でしたが、やはり母は変わらないようです。

 

電話があり、差別的な言葉を沢山浴びせられました。

 

多分手術等、身体が心配なのでしょうが

 

それでも、自覚が無いにせよ

 

私が死にたくなるような言葉や考えを沢山聞きました。

 

私はただ悲しくて

 

あまり口を挟まずただ泣きながら聞いて

 

「全然伝わらなかったのね」

 

「もういいです」

「もういいです」

 

と、何度か泣きながら叫んで

 

通話を切りました。

 

 

その後暫くして、母から数十回も着信がありました。

 

私はその度に泣き叫んで

 

携帯を窓から捨てました。

 

息が苦しくて

 

ビニール袋で口元を覆って

 

暫くして、少し症状が落ち着いてから

 

携帯を探しにいきました。

 

家はマンションだから、勿論壊れていたけど

 

 

翌日は体調が悪くて

 

顔色も悪かったのか、心配していただいて

 

午前中で早退し

 

仕事に支障があるので、新しい携帯を買いにauへいきました。

 

午後いっぱいで設定を終えると

 

また着信があり

 

即座に切ると

 

smsで

 

【ごめんね】

 

とだけ入っていました

 

でもね、あの人は変わらないしわからないのだと

 

私はもう騙されないのだと

 

今は

 

そうしないと

 

私はしんでしまう

 

だから

 

どんなに嬉しくても

 

どんなに悲しくても

 

もう信じないし、信用しないし、期待もしない

 

毎月のお金は届けるけど

 

それだけ

 

こんな私の結論で

 

みんなごめんなさい

MTF日記(152回目)雪解け

はいどうも、ジェシカ・アルバです(怒られろ🥶)


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リップ、チークないと顔色悪い人

 

1年ぶりの乳がん検診に行ってたので、その経過を日記として書くつもりだったのですが、それは次回に書く事にしました。

まぁ前回とあまり変わらず普通の乳がん検診だったので笑

 

そんなわけで、今回は検診の後実家に寄った時に沢山泣いたので、そのお話を忘れないように、少しだけ記録しておこうかと思います。

Twitter(X)では、少し皆さんに報告したんですけど、今回はちょっと前進したと言う感じじゃなくて…突然凄く進めた感じなんです🥹

 

以前書いたように、私は両親(というか母だけですが)に自分の性自認について初めて伝えたのはかなり前で、その時、酷く罵倒された為、その後は暫くの間(長い間かな…)ずっと言い出せませんでした。

まぁ私に知識も無かったし、世間にも表現する言葉も無かった時代だったから、自分自身でもどうにもならないと考えていたので、余計な事は言ってもしょうがないと思っていたのも事実です。

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実家行ってきたよ。沢山泣いたさ。

 

母は普段からマイノリティ自体に不快感を示したり、普通に差別用語を使ったり(まあ、これは母の時代は差別用語では無かったのでしょうから仕方がない部分もありますが…)嘲笑するような発言をする人でした。(そういう意図があるわけじゃ無いんだとは思います)

当時はそれが許されるような、そういう社会的風土もあったから、私自身も自分に性違和があっても、私がおかしいんだって思って、より男らしくいるように努力していたんです。

 

「男だろ!それぐらい◯◯しろ!」とか

「女々しい奴が1番みっともない!」

「男子に二言は無いぞ!武士に二言はないんだぞ!」

 

みたいな事を口癖のように日常的に言われて、毎日のように怒られて育ったから、私自身もそういう感覚を持って生きていたんだと思います。

(武士じゃねーしとは思っていましたが笑)


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ちょっと不安な検診待ち

 

一方で父は船乗りで殆ど家に居なかったけれど、私の理解では軍人然とした方でしたから、寡黙で母のような無神経な発言を表立ってはしない人でした。

私から見て、父は厳格で穏やかな人に見えて、凄く格好良かったんです。(多分周囲からの評価もそうでした)

でもね、何も言わなくても不快な時は、苦虫を噛み潰したようなその顔でわかる人で…笑

その感情は伝わるから、私は父が何を受け入れて何を受け入れないかは分かっていたの。

だから私は父が亡くなる最後まで、遂に性違和について父には明かせ無かったです。


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ごめんねお父さん

 

中性になろうと頑張っていた時期でもね、私は父にはそう見えないように気をつけていて。

父が怖かったわけではなくてね、私は父が凄く好きだったから、悲しませたく無かったんです。

父も私に色々な期待を持って私を評価してくれていた事を知っていたしね。

そもそも父は母と違って、ファッションや何かには疎くて、男がチャラチャラするな!みたいな感覚の人でもあったから。

だから余計に言い出せ無かった。

それに父の社会的立場を考えると、あまり変な事は出来ないと思っていました。

 

母はね、四角四面な父と違って、才気に溢れたとても自由な人であり稀有な芸術家なんです。

母の事も私は凄く尊敬しているのだけれど、父よりずっと頭が柔軟だった母でも、やっぱり時代もあったのかな…

おじいちゃんの影響だと思うんですけど、そもそも母は由緒ある武家の子(士族)だと言う変な自負がある人でね、まぁ前述したような育てられ方をしたわけです。

多分ね、父が家に居なかったから、女手一つで男の子を3人育てる為に、母も努めてそうしていたこともあるのだと思います。

 

今ならそれは理解出来るけれど…

当時そう育てられた私には、自分の性違和との葛藤があっても、何も知らなかったから、どちらかに極振りするしか解決策は思い浮かばなかったんです。

それは当然、男性に極振りするしか術は無かった。

 

前に書いた事があるけど、若い頃

「もし私が女性になりたいって言ったらどう思いますか?」

って私が振った事があって、その時は

「冗談でもそんな気持ち悪い事を言うな!」みたいに罵倒されたんですよね。

それはね、私からするとショックと言うよりは、「まぁそうだろうな」って言う反応で、それ以上言う事は出来なくて、笑って誤魔化したのを覚えています。

 

それから10年以上経って、中性を目指しているときに改めて同様の話をして、また同様に罵倒されて…

リフレイン🥲

「お前まさかオカマじゃないんだよね!?」とかも言われたりしてね。


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実際にそこにいるのに、存在自体が否定されるって苦しいんだよ

 

まぁ私の理解としては、母で無理なら父はもっと無理だと理解していました。

 

そして、それからまた時を経て、父の身体が悪くなり、父から私に子供が出来るのを諦めた発言を聞いて。

その時私は、申し訳なく思いながらも、反面少し開放されたような気がしたの。

ずっとその期待は私にはプレッシャーでもあったから。

 

だからね、その頃にまた母に同じように「私が男性ではないのだと言ったらどう思うか」とか「今の自分の様子はファッションだけでやっているわけではない」とか、「これからは残りの人生を自分の生きたいように生きて死にたい」伝えたけれど、やっぱりまともには取り合ってもらえなくて、否定的な罵詈雑言が返されて。

父の体調悪化や介護もあったから、母の心労を考えて私もそれ以上はあまり沢山は話せなかった。

 

その後、父が亡くなってしまって、私はちゃんと進む事を決意するのだけれど、再三の否定もあったから、そこからようやく、ゆっくり母に私の変化に慣れてもらう事を考えるわけです。

ただでさえ伴侶を失って憔悴している母に、無理やり話して消耗させては良くないと思っていたから、勿論少し時間を置いて、母が落ち着いてから。


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父の葬儀は男で出たんです


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同じ時期、お家ではこんな感じ

 

そうして最近の記事のように、小言を言われながらも、だんだんと少しずつ少しずつ、母に好意的に受け止めてもらえるように変化してきていました。

 

そして先日、実家で話す機会があったんですが、母からも聞かれたから、じっくりとこれまで私が感じて来た事を、一つ一つ場面場面で話したんです。

 

子供の頃どうだったか、学生の時どうだったか、20代の時どうだったか、結婚した時、離婚した時どうだったか、父が亡くなった時どうだったか、何故子供が出来なかったのか、今はどんな治療をしているのか、友人とはどうなのか、会社でどのように受け入れられているのか。

 

カウンセリングの時のようにね、母の質問に答えながら。

 

母はね、立派にやっている兄達のことは勿論、上手く生きて来られなかった私の事も、その資質や才みたいなものをずっと兄達に対してと同じように、ともすれば分野によっては私の方が優れているくらいの感じで私の事も信じてくれていて。

でも、私だけが時々理解出来ない選択をして、フラフラとしている印象を母は持っていて、頭も悪くないはずなのに何故そうなってしまうのか?って解せない部分が長年あったんだって言っていました。

 

でもね、今回何故か初めて落ち着いてゆっくり話せたらね

 

「お前…ずっと我慢して、自分を抑制してきたんだね。

そんな苦しい人生…お前…凄いね。

こんなに長い間…この歳までずっとだなんて…

生きていてとても辛かっただろう。

なんか色々な事が、全部腑に落ちた感じがするよ。よーく分かった。

これからは私もお前の味方になってやる。

私にとって私の子供はさ、誇張無しで私の分身で私の命なんだよ。」

 

こんな事を母が言ったんです。

 

本当に、本当に、本当に今までで1番嬉しかった。

 

帰ってから泣いても、あまり家族の前で泣いた事はない(父が亡くなった時だけはわんわん泣いたけど笑)んだけど、話しながらポロポロと涙がでたよ🥹

〜〜〜

★「性同一性障害?だったよね。長い間、ずっとお前は女でいたかったのに、ずっと悩んで自分を押し殺していたわけだ。」

◯「半分だけ合ってるかな…」

★「そうじゃない時もあったってこと?」

◯「ううん…そうじゃなくて。

ずっと女の子になりたいって、どうやったらなれるのかって、私は悩んでいたわけじゃないんですよ。そんな知識も無かったし、なれないと思ってたから。

私はね、どうやったら自分が男として暮らしていけるのかっていつも悩んできたんです。

でも…上手くいかなかった。」

★「ああ、そうか…

お前が女だって言うことはそうなんだろうね。

私には今の言葉で、やっと性同一性障害って言うのがどういうものか、少し分かったような気がするよ。

私は女だからさ、女になりたい気持ちってよく分からなかったけど、男ではないのになんとか男であろうとする気持ちはわかるよ。

よく分かった。」

〜〜〜

★「そうか…こうやってちゃんと聞いてみたらさ、そう言えばお前、見た目も小さい頃から女の子みたいだったもんねぇ。

よく間違えられてさ、お前昔から可愛かったんだよ。」

◯「間違えられてましたね。」

★「家は男ばっかりでむさくるしいからさ、私は3人目は女の子が欲しかったんだよ。だからお前には女の子の服も着させたりしてね。

お前、嫌がらなかったもんね。

それにね、パパに1人くらい女の子が欲しかったって私が愚痴った事があってね。」

◯「うん」

★「その時こーんな小さかったお前がさ「ママ大丈夫!◯◯ちゃんが女の子になってあげるよ!」って言ったんだよねぇ。」

◯「そうなの?そんな事言ったんだ…覚えてないや」

★「ああ、お前言ってたんだよ。考えてみればあんな小さい時からずっとそういう風だったろうに、私も気が付かなかったんだねえ。」

◯「まぁ、学生時代なんかは、努めて男らしくしてましたから。」

★「そうだよね。お前凄く人気者で女の子にモテたじゃないか。そういうのはどうだったんだい?」

◯「う〜ん…まぁ男の子として学校にいたわけだから、そういうもんかなーって。凄く嬉しいとかは無かったかなぁ。」

★「私は女子高でさ、凄く女の子にモテたんだけど、別に嬉しくなかったから同じようなもんか笑」

◯「同じかはわかんないけど笑」

★「結婚した時はどうだったんだい?」

◯「人として好きだったから、一緒に暮らすのは良いと思っていましたよ。まぁ、性欲みたいなのが無くて性生活みたいなものはなかなか無かったけど。」

★「ああー!だからお前子供出来なかったのか」

◯「いや、調べたら身体も出来なそうな身体でしたから、そのせいだけじゃないかもだけど…」

〜〜〜

★「もうちょっと早く言ってくれたら、また違っただろうにねぇ。」

◯「30年前に?受け止めるのは無理だったと思いますよ。実際にお母さんには罵倒されたし笑」

★「そうか…悪かったよ。無理だったか…そうかも知れないね。

昔は知識も無かったしさ、今はそういう人がいるんだっていう知識が私にもあるから、また違うんだろうね、私も。」

◯「うん、無理だったと思うし、私自身でさえも無理で、どうして良いかわからなかったんだから。」

★「そうだねぇ、やっぱり無理だったんだろうなぁ。今、パパが生きてて知ったら、やっぱり難しかったかなぁ?」

◯「お父さんは無理だと思います。」

★「うん、あの人は受け止められなかっただろうね。

どんな顔して今私達を見てるんだろうね。

考えると面白いね笑」

◯「全然面白くないです笑」

★「私もさ、よくはわかって無かったから、お前時々やり過ぎだと思ってたんだ。」

◯「やり過ぎ?」

★「ほら、お前が女っぽい格好してても、よく似合ってたし、格好良いから良いやって思ってたんだよ。

でもまるっきり女にしか見えない日が増えてきてさ。」

◯「ああ、そんなこと言ってましたね。」

★「なんかいつだったか…お前が迎えに来てくれた時に、綺麗な女の人が入ってきたなーと思ったらお前でさ。」

◯「ああ、よく覚えてます。

私のことを気持ち悪いって言ってたお母さんが、私のことを綺麗な女の人って評してくれたのは、凄く勇気付けられたから笑

ノーメイクでわざわざメンズ服に着替えたのになーって。

まぁその後に本当嫌だね〜って言われましたけど笑」

★「ごめんよ!だってまるっきり綺麗な女の人にしか見えなかったからさ、自分の子供と結びつかなかったんだよ。」

◯「もう、これで生きてるから。

やり過ぎじゃなくて、今はこれが私の普通だからね?」

★「そうなんだねぇ。

だからあれだ、お前、女装してるわけじゃないって、自分のことトランスジェンダーだって言ってたんだね。

なんかさ私の子供にそういう珍しい人が生まれたっていうのが不思議な感じがするよ。

今はそういう知識はあるけど、周りに1人もいないからさ。」

◯「いてもわからなかっただけかもよ?身体も全部、戸籍も変えていたら私も周りに言わないし、今だってどうしても必要な時以外は言わないから。」

★「そうか…ひょっとしたらそうかも知れないね。」

〜〜〜

★「お前がさ、前に家に縛られて思うように出来なかったって言っていたのが、正直よくわからなかったんだよ。

あんなに優秀だったお前が、なんでいっつも自分を卑下して自信がないのかもよくわかんなくて…

何でかな?って思っていたんだよ。」

◯「お父さんは堅い職業で社会的地位があったし、お母さんはそれ以上に名士で有名人だったから…

勿論違法な事をしようと思っていたわけじゃないんだけど、何か騒ぎになるような、両親に影響があるような事は出来ないって、ずっと考えていたんです。」

★「そうか…やっと分かったよ。そうだったんだ。

1番自由そうにやってきたお前が、何でそんな風に言うのかと思ってたんだけど、お前はそういう意味で縛られているって言ってたんだね。なんかお前の行動とか選択とか、色々な事がみんな腑に落ちたよ。」

◯「今はやっと、今更かも知れないけれど、自分に素直に生きるように決めたから。」

★「もう少し早く言って欲しかったな。」

◯「まぁ…過ぎた事だし。

私もね、若い頃にこうなれていたら、違う人生だったろうなって考える事は勿論あるけど…

早く言っていたら、無理だったろうし、当時の社会的にももっと難しくなっていたと思います。」

★「無理だった…そうだねぇ。悪かったねえ。

でも、今日は楽になっただろ?」

◯「うん、凄くほっとした。沢山聞いてくれてありがとうお母さん。

さて、もう遅いから、白菜貰ってそろそろ帰ります。」

★「もう大丈夫だからね。またおいでよ。

私ゃお前が来ると嬉しいんだよ。」

◯「うん。ありがとう。」

 

話しているときも涙は出たけど、帰りはずっと声を上げて泣きました。


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多分脱水で体重軽くなったよ笑

 

みんな今まで応援してくれてありがとう。

これで、あとはまた、自分が身体のことも含めて頑張るだけだよね。


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幸せな感じで

 

なんかね、生まれ変わったように重荷が減ったような気がしています。

 

この日の事はずっと覚えておこうと思います。

MTF日記(151回目) 鏡をのぞけば〜押された背中〜

かなり間が空いてしまいました。

ごめんなさい。

沢山の非常に不正確な情報(まぁデマです)を流布するアカウントをみてきましたが、ワクチンやcov-idに関するものに加え、先日トランスに関するものまで見つけてしまい、あまりに酷いので色々書こうかと思ったのですが…

まぁ書いてから例の如く推敲しながら、私は当事者だし医療者ではありますが、説明する立場ではないし、感情的になり無用な誤解を与えそうな事も書いていたので消す事にしました。

そんなわけで、ちょっと時間が空いてしまった感じです💦

 

消した後で何を書こうか悩んだんですけど、今回は書いていなかったトピックがあったので日記的な感じで。

先月の23日かな?例の河上さんの映画の上映会に、遂に行ってきたので、その話を少しだけ。

私ね、実はこの映画の企画段階の時のお話の時に、お話し合いの席にちょっと居て聞いていたんです。

(全然制作に参加はしてないですけど💦)


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亀戸は凄く寒かった。

 

亀戸というところのバーで上映会だったんですが、私は基本的にバーには行かないし(お酒が飲めないからね🤔)その上亀戸という場所は初訪問だったし、ちょっと色々な意味で緊張してました。


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こんなの貼ってありました🐱

 

先ずね、トランスジェンダーの方が沢山来るということに緊張していて。

私はトランスジェンダー関連の組織やグループ?交流会?みたいなものに全く縁がないので、誰かと知り合ってもだいたい一対一だったんです。

上映会主催の方がFTMの方だし、FTM.MTF含めたトランスジェンダーが複数居る空間というのは初めての経験でしたからね。

 

まぁ河上さんはじめ、映画の制作側の人は知り合いの方が何人かいるので、あまり心配はしていなかったんですが…

いざ座ってみると、私の周りは勿論知らない人ばかりなので、やっぱり緊張して何を話したら良いかわからない感じでした笑

知り合いどうしみたいなお互いに面識ありそうな人達もいたから、みんな何を話してるのかなーって思いながら、凄い沢山お菓子を食べ続けてしまった…🥺

私あんまり耳が良くないしね😅

 

映画の方はね、ちょっと音声が上手くいかない感じでしたけど、字幕があったからストーリーはちゃんと追えましたよ👏

上映会の後は、河上さん達と晩ご飯を食べてから帰ってきました。


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はい、みんな綺麗にしておいたよ笑

 

実はそもそものところ、まぁ河上さんが上京されるから、一緒にご飯でも食べましょう〜っていう話で、河上さんに会うのに私も上京する話になったので、映画鑑賞と言うよりは、こちらがメインで行ったような感じだったり笑

 

夜勤明けだったし(河上さんとお会いする日は撮影含めて全て夜勤明けというめぐり合わせ😂)寒すぎて車で亀戸まで行ったんですけど…

道もわからないし遠かった💦

ただね、道中10年ぶりくらいで皇居やら国会やら警視庁やらの辺りを通ったので、なんか久しぶりに東京に来たんだなーって、変な感想を持ちながら運転してきました。

 

また暫く東京へは行かないだろうけど、お友達に呼ばれたら可能な限り行きますからねー🎉

 

映画:鏡をのぞけば〜押された背中〜

色々なメッセージが込められているから、皆さんも機会があったら是非観てみてください。

エンドロールに私や私の親友も出てますからね笑

(注意:何かの役で出演してるわけじゃないですよ🤫)

MTF日記(150回目)mtfとお仕事

150回目になりました。パチパチパチ🎉

どうも、アン・ハサウェイです。(怒られろ!)という事で純散歩風に始めてみました🙃

 

最近のトピックで、先日、会社の研修でコミュニケーションに関する研修があったのですが、この研修の講師の方がですね、実はトランスジェンダーMTF)の方でした。

水商売をされていて、戸籍変更、ご結婚を経て、夜職を辞められて、改めて学び直してから、ご自身の夜の経験も活かしてコミュニケーションについて講演なさっているという感じの方。

 

まあこの方の経歴はともかく、看護技術や医学的なもの以外の、こういう講演とか勉強会みたいなものは、会社等て何かが無いと私は経験しないので、興味深く真面目に聞いて参りましたよー。

最前列の真ん中で!🤗


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はい。ちゃんとスーツでいきましたよ?🙃

 

で、今回講師の方の経歴のお話を聞いて、色々ね、私が知っている方と年齢や経歴が似ていらっしゃるのに気が付きまして…

そんなわけで、ちょっと今回のお題について少し考えてみたので、私のわかる範囲で少し触れてみようかなーって思ったのです。

 

よくね、日本にLGBT差別なんてないだろ!日本は歴史的にもLGBTに他国より寛容だ!みたいに言う人いますよね?

そんな事ないし、当たり前の事が難しくなる事は、感情論だけじゃなくて、制度的にも法的にも差別的な制度はあるっていうのは事実なんですよーんよんよん。(努めて明るく言っておきます🤯)

だからこそ、私はしないけど、それに対して戦う方も勿論沢山いるのです。

 

ただ、私はそのあたりの運動はしたことない(する知識も力もない)ので、今回書くのはそういった包括的な話ではなくて、私の経験した事や見聞きした事だけに関するお話です。

 

先ずはこの講師の方と私の友人について、私が似ていると感じた経歴の部分をちょっと考えてみます。(私と似ているわけではありませんよ?)

 

先ず彼女達は私よりも一回り程年下なんですが、年齢がとても近いです。

そして10代そこそこの若い時期に夜の世界に飛び込んで(所謂水商売やショービジネス)生きて来られています。

そしてSRSをした後に、時代の移り変わりで特例法が出来たことで、やっと事後的に戸籍変更をされている。(特例法前にSRSをされている)

それに伴いご結婚もされる。(戸籍変更が出来なかったら、今も当時も、バイナリだと同性婚になるので特例法がなかったら、今も男性とは結婚は出来ません。)

その後、夜のお仕事から離れ、昼間のお仕事をされる。(結婚や年齢が一因かと思われます。)

現在は人前に出る活動をされている。

みたいな感じです。


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あれれ?なんか不思議じゃない!?

 

これね、たまたま私が知った人でたった2人だけでしょう?って言われてもしょうがない事例数なんですけれど、芸能界などにいる有名なトランスジェンダーの方も、初期の流れは似ているように感じませんか?

トランスジェンダーなんて周りにいないし、よくわかんないよ!って言う、全く知識のない皆さんも、このような変遷の生き方の話を、どこかで聞いた事があるんじゃないかなー?って思います。

私もね、まだ知識が無かった頃は、もし進むなら新宿二丁目とかで水商売やショービジネスの世界で生きるしか無いのだろうなとイメージしてました。


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生涯で初めて着たドレス姿😂

 

だから当時普通にサラリーマンとして在職トランス出来るイメージは全く持てなかったんです。

 

何故?

 

私の10代20代当時、そんな事が可能になるような社会的な土壌は皆無で、ゲイだろうがレズだろうが性同一性障害だろうが、みんな一緒くたで、オカマ、オナベみたいな扱いで、変態、或いは色物としか捉えられていなかったと思います。

もしオープンにしたなら、そこに甘んじなければ社会生活を普通に送れない社会風土でした。


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本当にそうだったのよ?

 

だからね、性違和があれば有るほど、それを否定する為にわざと男性らしく過ごしたり(例えば自衛隊に入隊するとか、格闘技やるとか)結婚したらどうにか治るのではないかと考えたりね。

 

私が他のトランスジェンダーの方と少し知り合うようになって、同年代の方々のお話を聞くと、そういう人生経験ばかりを聞いています。

そうしないと社会的に排斥というか、一般的な社会生活を送るのが困難だったの。

非日常的な世界(水商売やショービジネス)を除いては、まぁ実際そういう世の中でした。

それでも、そういった非日常的な世界で生き抜く人達でも、一般からの見方は、言っても色物でしたよね。


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ムリムリムリムリ

 

私はどうだったか?

私もね、身体を鍛えたりして、無頼に生きる!みたいに考えて、色々転職したりもしました。

どうにか男性らしく見られようと努力した10代、20代だったと思います。


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大学後半の髭で強面だった頃

 

もし自分をオープンにしたら、田舎だったら村八分とかね、そこまでいかなくても後ろ指はさされて当然、お家によっては勘当なんてことも不思議じゃなかったと思います。

まあ令和の今でさえそういう人残ってますよね…

うちもそうだったの。

若い頃、テレビやなんかで性的マイノリティの方がでているだけで、不快感を示して蔑むような母でした。

 

私の若い頃ってそういう時代ではあったし、私の家もそんな環境でした。

彼女達2人は、私より一回り若いから、10年以上違えばマイノリティの社会的な認知度が違ったり、私の頃とは多少は違うのかもしれないけれど…

それでもやっぱり彼女達の時代でもまだ、ある程度私の若い頃に近い環境だったんじゃないかなーって思うのです。

そうだとするとね、彼女達の選んだ生き方は、なんと言うか他の方法があまり選択肢に無かった故であり、結果似た経過になったなんじゃないかなーと考察されるんですよね。

 

彼女達が行動した10代の頃は、私は20代の終わりから30代で、男性としてある程度働いて経験を積んでいた頃です。


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20代の終わりくらい

 

当時の環境を振り返ってみると、性同一性障害の概念がやっと入ってきた頃で、性同一性障害として病理化が進み、日本でも性別適合手術が開始された頃なんですよね。

 

これはこれでね、当時の私には受け入れ難かったんです。

私は精神病じゃないよって。

昔は精神科に対する偏見や差別も酷くてね、例えば治療も非人道的なものも沢山あったんです。

ロボトミーとか電気ショックとかね。

殺人事件とかもあったし、興味がある方は調べてみてください。

精神病院は刑務所より酷いって言われたくらいの時代ですから…

実際鉄格子があったり、隔離して自由を奪うのが当たり前で、治療というよりは隠すものだった。

だからね、少なくとも私の生育環境においては、精神科にいくのも、行くだけでこれはまた別の意味で村八分みたいな文化だったから、私が行くことはありませんでした。

 

言い方は悪いけれど、お利口さんと言うか聞き分けが良く育ってきた私は、変態や色物になれず、無頼にもなれず、かといって精神科の患者にもなれなくて。

フワフワと、どうしたらよ良いかわからないまま、社会的なスタンダードを逸脱しようとしながら、しきれずに生きてきたんだと思います。

基本的に臆病なんでしょうね。

鬱になった時も、前述したような今とは違う環境だったから、紹介されたけれど精神科には通わなかったくらい。

多分運が良かったんでしょう。

よく死なずに済んだと思います。

 

でもね、社会的な認知や人権意識が世界的に少しずつ変わってきました。

日本でも法律も一つ一つ少しずつ変わってきて、社会的な状況は変化しつつあります。

私の知っている期間だけでも、二十年三十年四十年前から比べると、今は隔世の感があります。

だからこそ今の私が、今のように生きていられるんです。

これは頑張ってきた先人や研究者の協力の賜物で、本当に有り難い事です。


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頑張れてるよ!みんなありがとう

 

かなり話が本題から背景にそれましたが、私の仕事のお話でしたね💦

前述したように、私には彼女達のようなルートを歩む術はありませんでした。

勿論可愛くもなければ、アルコールもアレルギーだしね笑

家族にそういった業界で働くなんて言えるわけがなかったし、出来るはずもなかった。

そして家は離れたかったけれど、家族を捨てる選択肢も無かった。

私は自分が行かなかったから偏見があるかもだけど、私のイメージする夜職って、自分が商品になると言うか…

身一つで不特定多数の方を相手にしたり、人前で何かをするっていうイメージなのね。

私にそんな事が出来るっていう発想も勇気も、自身の希望も当時は全然無かった。

キラキラしたものが縁遠かった私には、寧ろ苦手な世界に見えたんですよね。

まぁ、今でもどちらかと言うと苦手かな🤔

 

番組制作、教育、人事、設計、不動産営業、施設管理

色々な業界で働いてきたけれど、私のしてきた仕事はどの仕事も男性主体だったし、私もその中で働いてきました。

 

実はね、彼女達がそういった世界に飛び込んだ頃に遅れること5〜6年でしょうか、私は1度社会からドロップアウトします。

当時は結婚していて、でも色々上手くいかなくて離婚したんですけど…

上手く生きられなかったダメージはやっぱり大きくて、お相手の方にも時間を奪った形になってしまって…凄く落ち込みました。

まぁセクシャリティ以外にも色々問題があったんですけど、そこで私は鬱になります。

仕事を辞めて(通えなくなって)、人に会わないバイトやなんかを転々としながら、最低限なんとか生きていた感じの時期が1年くらい続いたのかな…

しょっちゅう吐いて、しょっちゅう仕事に行けなくて、ご飯もあまり食べられなくて生涯で1番痩せていたと思います。

当時の私の様子を知る友人や家族は、私がこのまま死ぬんじゃないかって心配してくれた事を、よく覚えています。

色々な人に支えられて、次第にバイトから始めて、少しづつ社会復帰出来たのは、もう少しかかりました。

そうして、やっと働く事が出来るようになってから、自分を少し労ろうと意識するようになり、中性であろうと考え始めます。

そして看護師になろうと決めて。

 

私の場合は在職でカミングアウトした時はね、もう受診もしていて診断も出ていて、トランスジェンダーとして歩む事を勿論決めていたんですけど、私は周囲に合わせるタイプで臆病なのに、何故そんな事が出来たのでしょうか?

 

私ね、ある意味ズルかったんだと思うんです。

 

当時の私は、仕事場と実家以外の友人やご近所さん、日常の外出では既に女性だと認識されていて、男性籍で男性としてふるまっていた仕事場でも、現場レベルでは仕事中でも間違われたり、あの人は?って言われたりしていた状況でした。

だからね、カムアウトした時は「ああ、やっぱりそうだよね」だったし、その上私は…

上手く行っても行かなくても、この時の仕事場は遠からず辞めるつもりだったんです。

当時介護問題が重なったり、父が亡くなってしまった事もあって、凄く生活の負担が大きくて、本当に自身の体調も悪かったし、問題への対応でとても時間が必要だったから。

だからね、ちゃんと仕事場を辞めるつもりもあってカミングアウトしたんです。

勇気ある告白と言うには、色々ズルいかもしれませんね。

もっとずる賢かった?というか冷静だったのかはわかりませんが、辞めてから次の職場で働く事に対しても、私にはある程度目算がありました。

 

転職した事がある方は分かると思うのですが、一般的に転職って、受給のパワーバランスによって、かなり採用の合否が左右されますよね?

あとは必要な人材かどうかは、スキルや経歴、それから人柄?なんかで判断されることが多いと思います。

 

ただね、トランスジェンダーだとカミングアウトして面接にいく場合は、先ずそこなんです。

初めて対応するタイプの人だ!って言われるのが普通なんですよ。

数がそもそも少ないですからね💦

会社側も、先ずそこについてが主題になりがちなので、就業の不利があったり、圧迫を受けたりする事例があるのだと思います。

誰だって面倒はごめんだもの…

 

時代が変わり、トランスジェンダーの認知度が以前より広がったとはいえ、前の法人でも、今の法人でも、私は初で唯一のトランスジェンダーでした。

経営者やニューハーフバーみたいな水商売の方はともかく、それら以外で働くトランスジェンダーの友人達もだいたいそうです。

戸籍変更している方は、別にトランスジェンダーだと告げる必要はないし、また別の話ではあるのですけど。

 

で、私の場合はどうだったか。

今書いているような事を詳細に予測したり計算していたわけではありませんが、先に書いたように私自身、ある程度の目算と言うか、なんとかなるだろうとは考えていたと思います。


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当時面接に行った時

 

先ず職業柄、職場柄、非常に人手不足が状態化している職種であり、資格と臨床経験がちゃんとあるだけでも、受給バランスで言えばかなりの売り手市場だと言うことが一つあります。

そして職場的には一般に比べると、医学的知見がある程度ある方が多いので、前述したような先ずはトランスジェンダーとは?みたいな否定的な部分が、一般的な会社より多分少ない事も有利だったと今は考察しています。

 

でもね、実際に私が当時考えていた事はそんな事じゃなくて、論より証拠みたいな事でした。

ああ、この人は真面目に女性なんだねって

伊達や酔狂で性別移行しているわけじゃないんだなって捉えてもらう事です。

それはね、パス度で殴る的な、見た目や所作や話し方も勿論大事なんだけど…

やっぱり人となりというか、誠実な感じや雰囲気が重要なんだと思っていて、真面目にやってきた自負はあったの。

 

そして私にとって、強力な背景となる重要な条件の一つだったのは、私の中では改名した名前でした。

これはね、名は体を表すじゃないけど、私の中では改名ってかなりのウエイトがあって、普通の方から本気なんだなって感じてもらえる要素の一つだと思っていました。

伊達や酔狂で普通改名したりしないでしょう?

私が真面目に本気て移行しているという証左になるというか、姿かたちと名前だけでも、説明が少なくても伝わると思うんです。

念の為に面接では診断書や判定会議の治療許可書類とかも持参しましたけど、そんな確認には及ばない形でスムースにお話が進んだのは、見た印象と名前だったかなって思っています。

 

私自身も、改名出来た時は、色々な生活上の不都合が少し解消される事を思って嬉しくてね。

やっぱり泣きましたもの。

 

私のトランスジェンダーとしての仕事の歩みの経験はこんな感じで上手くいっているように思っています。他にもね、色々な道があるし、私もまだまだ道半ばだけど、みんな頑張ろうね。

シスの方と同じとは言えないけれど、偏見無く働ける場所はきっとありますから諦めないで。


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イケルイケル

 

一人ひとりが自然に受け入れられて、普通に生きている事自体が、どんな活動よりも、だんだん世の中が法的にも制度的にも文化的にも、改善していく一助になるのだと私は信じています。