私には、You Tubeに出させていただいた河上りささん(参照:河上りさのへっぽこチャンネル)をはじめ、LGBTQの差別反対の声を上げている友人がいます。
TwitterのFFさんでも、虹色サポーターみたいな方々や、マイノリティ当事者、トランスジェンダー当事者の方々が結構いるんですよね。
勿論私も当事者の1人。
社会的に運動している人、SNSで発信したり差別者と言論でやり合っている人、頑張って説明している人、ただ自分の意見を発信する人、黙っている人、そっとしておいて欲しいと反対する人、当事者でも色々な方がいますね。
そんな中、私はあまり発信しないし、戦わない部類に入ります。
私ね、戦えないんですよね…なんかすみません💦
結論から言うと、私の差別との向き合い方は…
戦わない。基本的には逃げる。
そして逃げられないなら、我慢しながら、少しずつ自分と言う人間を知ってもらう事で、改善を期待する。です。
戦う人達の事は、私は総じて尊敬しています。
凄いな〜とか
ちょっとやり過ぎかも…とか
私とは大分感覚が違うんだな〜とか
私にはこういうのは出来ないかな…と申し訳なく思ったりもするんですが…
私はしないし、出来ないのです。
色々な感想を持ちますが、私は性格的にも争うのは苦手だし、そんなに精神的にも強靭ではないので、なるべく我慢して、身の回りの事だけに注力している感じです🥲
それでも、私にとっては凄くエネルギーが必要だし、いっぱいいっぱいなんです。
正直ね、差別的な発言を目にするだけで泣きたいくらい悲しくなるし、体調も悪くなるくらいダメージを受けるので、SNSなんかでは、すぐミュートして当該の人物と関わらないようにしています。
勿論、あまりに酷いと抗議したい気持ちになる時も無くはないんですが…
それはもっと私自身にダメージを与える事がわかっているので、なるべくしないようにしています。
私が戦わない理由はこんな感じ
まぁ第一は
私は弱くて、ダメージに耐えながら生き続けられる程のメンタリティは持ち合わせていないのです。
ごめんなさい😞
私の行動規範は、とにかくトラブルは避ける事なんです。
以前少し触れたけれど、私には被害経験のトラウマと恐怖心があるので、差別やいじめに限らず、基本的に攻撃的な人はそれだけでもう受け入れ難いし、関わりたくないのです😰
これはね、正直経験しないとわからないのでは無いかと思います。
そして私の個人的な感想ですが、LGBTに限らず男女でも人種でも職業でも年齢でも、差別発言したり差別する人って、そもそも自分が差別している事も理解出来ていない人が沢山います。
自分の中のイメージで捉えていて、知識も無いのですから、自分が言動が何をもたらすか想像がつかないのです。
だからやたらと主語が大きくなる。
そもそも知識の無い方に、知識を無理矢理得てもらう事は出来ないし、そのまま理解してもらうのはなかなかに難しいと思うのですよね。
だってね、元々興味が無い方に知識を得てもらうのは大変難しいと思いませんか?
例えば、「生きていくのに数学なんて必要ないし何の役にも立たない」と主張する人に、如何に三角関数が日常生活に有用か説明する場合、分数から始めないといけません。
でもね、その人は知らなくても生きてきたわけで、興味もないので、いくら伝えても頭には入らないの。
根気よく説明しても話しても、通じないのはそういう事だと私は理解しています。
これはね、反ワクチンや反マスク等の公衆衛生でも同様でわかりやすいです。
科学的な素地が無い方に、専門の有識者が科学的事実や根拠を丁寧に説明しても通じないの。
自分のイメージに合う信じたい情報しか補完できないんです。
LGBTQに関しても同じで、学術的な事でも自分のイメージと違う情報は頭に入らない人がいるんです。周りにいないから知らないし、興味もないので、そういう方に素地が出来る理由がないんですよね。
加えてね、差別的な発言が出来るという事は、共感性が無い事を意味します。
共感性が高いとね、知らなくても差別的な発言にはなかなか至らないし、ちゃんと知ろうとするものですもの。
だから、私はそういう発言が出来る方と話しても、殆どは無意味だと思っています。
もっと言えば、攻撃的で差別的な言動をする人に対して、抗議することは大事な事だとは思いますが、論理的にやり込めても、上記したような理由であまり変化は望めないと思っています。
更に、相手に攻撃的に抗議することは、反発を生むだけで、全くもって無駄な事ではないでしょうか。
それで何か事態が好転することは無いと思うのです。
悲しくなったら甘いものを食べましょう笑
翻って、社会や法律の不備を訴える事は、可視化すると言う意味で、私もとても大切な事だとは思ってはいます。
でもね、民主主義ってなかなか勘違いしている人が沢山いて、多数決だと勘違いしている人が沢山いるんですよね😰政治家でさえも…
こういう人には叫んでみても、マイノリティ側からの発信に共感を得られないんです。
彼らの結論は、知識が有ろうが無かろうが、理解する必要もなく、ただ自分のその時点の知識と個人的なイメージで判断して、理解の無いままでもただ多数決すれば良いと考えているのですから。
そしてね、概してマジョリティの立場では、共感力のある人以外、問題があることすら気が付かないのです。
現状を知らないし、現在の法律で出来ること出来ないことも知らないから、攻撃的ではない人でも、
「ぶっちゃけ日本で差別されてるの?何の不都合があるの?」
みたいなトンチンカンな感想を言う人をいっぱい目にします。
凄く悲しい事ですけど、やっぱり他人事ですから、わざわざ理解する為に現状の知識を得ようとする人は極僅かです。
だからね、現状の社会的な理解度で、今みたいなムーブメントは、私は逆効果かな〜と思えてしまって参加しないのです。
社会全体にマクロで、一般的に理解してもらえるような素地はまだ無いと感じているから。
でもね、個人的には、少数派のマイノリティの社会運動で世の中を変えるのは難しいとは思っているけれど、自分の周囲の環境は、自分の努力で変えられるとも思っています。
私はそうして努力してきたから、今の生活があると考えているからです。
とはいえ、知識が無くて、なかなか勇気も無くて踏み出せなかった私が踏み出せたのは、色々なきっかけが重なったにせよ、やっぱり少し世の中の受け入れ方が変わった事も大きくて…
それは世界中で戦ってきた方々や主張してきた方々、学術的に研究してきた方々の尽力で、知識が一般に拡がってきた事によりなされたもので、とても感謝しています。
でもね、まるっと平等になるには、未だ社会的な素地は充分ではないのだとも思っています。
私が若い頃と比べるとね、関連する学問も進んだし、一般的な理解や知識も、若い人中心に拡がっていますよね。
でも一定の年代から上の層だったり、あまり関わることがない層の人達にとってみれば、知識や理解の比率はまだまだ変わらないのです。
私だって、当事者で無ければ今のような知識は得ていなかったかもしれないと思ったりします。
そして彼等彼女等の頭は、上記した理由でもう変われないの。
政府の高齢者の方々の発言を見ると、その根っこがよくわかりますよね。
だからね、私が生きているうちくらいは、まだまだ難しいのかな〜って思っています。
必ず時間で、時代で、この先変わるとは思っていますけどね。
じゃあ私はどうするかと言えば、差別的な社会と断絶して、誰とも関わらず生きていくのは難しい。
だけど、自分の周囲なら差別者と遠ざかる事が可能だったりします。
だからね、自分の身の回りの環境を整える努力をするのです。
マクロな社会に一般的に認められる事が、時間的に遠くても、身の回りに理解者を増やして、自分の環境を整えることは、前述したように体験上不可能ではないから。
今はまだ、個々の当事者がそうして行く事で、あまり争ったり分断することなく、マクロな理解に繋がっていって、だんだん世の中が変わるのかな〜と思っています。
だからね、私になんかSNSとかで色々攻撃してきても無駄ですよ🙃私取り合わないので…
私が対応するのは自分に関わるリアルな人間関係ですから。