はいどうも、ジェシカ・アルバです(怒られろ🥶)
リップ、チークないと顔色悪い人
1年ぶりの乳がん検診に行ってたので、その経過を日記として書くつもりだったのですが、それは次回に書く事にしました。
まぁ前回とあまり変わらず普通の乳がん検診だったので笑
そんなわけで、今回は検診の後実家に寄った時に沢山泣いたので、そのお話を忘れないように、少しだけ記録しておこうかと思います。
Twitter(X)では、少し皆さんに報告したんですけど、今回はちょっと前進したと言う感じじゃなくて…突然凄く進めた感じなんです🥹
以前書いたように、私は両親(というか母だけですが)に自分の性自認について初めて伝えたのはかなり前で、その時、酷く罵倒された為、その後は暫くの間(長い間かな…)ずっと言い出せませんでした。
まぁ私に知識も無かったし、世間にも表現する言葉も無かった時代だったから、自分自身でもどうにもならないと考えていたので、余計な事は言ってもしょうがないと思っていたのも事実です。
実家行ってきたよ。沢山泣いたさ。
母は普段からマイノリティ自体に不快感を示したり、普通に差別用語を使ったり(まあ、これは母の時代は差別用語では無かったのでしょうから仕方がない部分もありますが…)嘲笑するような発言をする人でした。(そういう意図があるわけじゃ無いんだとは思います)
当時はそれが許されるような、そういう社会的風土もあったから、私自身も自分に性違和があっても、私がおかしいんだって思って、より男らしくいるように努力していたんです。
「男だろ!それぐらい◯◯しろ!」とか
「女々しい奴が1番みっともない!」
「男子に二言は無いぞ!武士に二言はないんだぞ!」
みたいな事を口癖のように日常的に言われて、毎日のように怒られて育ったから、私自身もそういう感覚を持って生きていたんだと思います。
(武士じゃねーしとは思っていましたが笑)
ちょっと不安な検診待ち
一方で父は船乗りで殆ど家に居なかったけれど、私の理解では軍人然とした方でしたから、寡黙で母のような無神経な発言を表立ってはしない人でした。
私から見て、父は厳格で穏やかな人に見えて、凄く格好良かったんです。(多分周囲からの評価もそうでした)
でもね、何も言わなくても不快な時は、苦虫を噛み潰したようなその顔でわかる人で…笑
その感情は伝わるから、私は父が何を受け入れて何を受け入れないかは分かっていたの。
だから私は父が亡くなる最後まで、遂に性違和について父には明かせ無かったです。
ごめんねお父さん
中性になろうと頑張っていた時期でもね、私は父にはそう見えないように気をつけていて。
父が怖かったわけではなくてね、私は父が凄く好きだったから、悲しませたく無かったんです。
父も私に色々な期待を持って私を評価してくれていた事を知っていたしね。
そもそも父は母と違って、ファッションや何かには疎くて、男がチャラチャラするな!みたいな感覚の人でもあったから。
だから余計に言い出せ無かった。
それに父の社会的立場を考えると、あまり変な事は出来ないと思っていました。
母はね、四角四面な父と違って、才気に溢れたとても自由な人であり稀有な芸術家なんです。
母の事も私は凄く尊敬しているのだけれど、父よりずっと頭が柔軟だった母でも、やっぱり時代もあったのかな…
おじいちゃんの影響だと思うんですけど、そもそも母は由緒ある武家の子(士族)だと言う変な自負がある人でね、まぁ前述したような育てられ方をしたわけです。
多分ね、父が家に居なかったから、女手一つで男の子を3人育てる為に、母も努めてそうしていたこともあるのだと思います。
今ならそれは理解出来るけれど…
当時そう育てられた私には、自分の性違和との葛藤があっても、何も知らなかったから、どちらかに極振りするしか解決策は思い浮かばなかったんです。
それは当然、男性に極振りするしか術は無かった。
前に書いた事があるけど、若い頃
「もし私が女性になりたいって言ったらどう思いますか?」
って私が振った事があって、その時は
「冗談でもそんな気持ち悪い事を言うな!」みたいに罵倒されたんですよね。
それはね、私からするとショックと言うよりは、「まぁそうだろうな」って言う反応で、それ以上言う事は出来なくて、笑って誤魔化したのを覚えています。
それから10年以上経って、中性を目指しているときに改めて同様の話をして、また同様に罵倒されて…
リフレイン🥲
「お前まさかオカマじゃないんだよね!?」とかも言われたりしてね。
実際にそこにいるのに、存在自体が否定されるって苦しいんだよ
まぁ私の理解としては、母で無理なら父はもっと無理だと理解していました。
そして、それからまた時を経て、父の身体が悪くなり、父から私に子供が出来るのを諦めた発言を聞いて。
その時私は、申し訳なく思いながらも、反面少し開放されたような気がしたの。
ずっとその期待は私にはプレッシャーでもあったから。
だからね、その頃にまた母に同じように「私が男性ではないのだと言ったらどう思うか」とか「今の自分の様子はファッションだけでやっているわけではない」とか、「これからは残りの人生を自分の生きたいように生きて死にたい」伝えたけれど、やっぱりまともには取り合ってもらえなくて、否定的な罵詈雑言が返されて。
父の体調悪化や介護もあったから、母の心労を考えて私もそれ以上はあまり沢山は話せなかった。
その後、父が亡くなってしまって、私はちゃんと進む事を決意するのだけれど、再三の否定もあったから、そこからようやく、ゆっくり母に私の変化に慣れてもらう事を考えるわけです。
ただでさえ伴侶を失って憔悴している母に、無理やり話して消耗させては良くないと思っていたから、勿論少し時間を置いて、母が落ち着いてから。
父の葬儀は男で出たんです
同じ時期、お家ではこんな感じ
そうして最近の記事のように、小言を言われながらも、だんだんと少しずつ少しずつ、母に好意的に受け止めてもらえるように変化してきていました。
そして先日、実家で話す機会があったんですが、母からも聞かれたから、じっくりとこれまで私が感じて来た事を、一つ一つ場面場面で話したんです。
子供の頃どうだったか、学生の時どうだったか、20代の時どうだったか、結婚した時、離婚した時どうだったか、父が亡くなった時どうだったか、何故子供が出来なかったのか、今はどんな治療をしているのか、友人とはどうなのか、会社でどのように受け入れられているのか。
カウンセリングの時のようにね、母の質問に答えながら。
母はね、立派にやっている兄達のことは勿論、上手く生きて来られなかった私の事も、その資質や才みたいなものをずっと兄達に対してと同じように、ともすれば分野によっては私の方が優れているくらいの感じで私の事も信じてくれていて。
でも、私だけが時々理解出来ない選択をして、フラフラとしている印象を母は持っていて、頭も悪くないはずなのに何故そうなってしまうのか?って解せない部分が長年あったんだって言っていました。
でもね、今回何故か初めて落ち着いてゆっくり話せたらね
「お前…ずっと我慢して、自分を抑制してきたんだね。
そんな苦しい人生…お前…凄いね。
こんなに長い間…この歳までずっとだなんて…
生きていてとても辛かっただろう。
なんか色々な事が、全部腑に落ちた感じがするよ。よーく分かった。
これからは私もお前の味方になってやる。
私にとって私の子供はさ、誇張無しで私の分身で私の命なんだよ。」
こんな事を母が言ったんです。
本当に、本当に、本当に今までで1番嬉しかった。
帰ってから泣いても、あまり家族の前で泣いた事はない(父が亡くなった時だけはわんわん泣いたけど笑)んだけど、話しながらポロポロと涙がでたよ🥹
〜〜〜
★「性同一性障害?だったよね。長い間、ずっとお前は女でいたかったのに、ずっと悩んで自分を押し殺していたわけだ。」
◯「半分だけ合ってるかな…」
★「そうじゃない時もあったってこと?」
◯「ううん…そうじゃなくて。
ずっと女の子になりたいって、どうやったらなれるのかって、私は悩んでいたわけじゃないんですよ。そんな知識も無かったし、なれないと思ってたから。
私はね、どうやったら自分が男として暮らしていけるのかっていつも悩んできたんです。
でも…上手くいかなかった。」
★「ああ、そうか…
お前が女だって言うことはそうなんだろうね。
私には今の言葉で、やっと性同一性障害って言うのがどういうものか、少し分かったような気がするよ。
私は女だからさ、女になりたい気持ちってよく分からなかったけど、男ではないのになんとか男であろうとする気持ちはわかるよ。
よく分かった。」
〜〜〜
★「そうか…こうやってちゃんと聞いてみたらさ、そう言えばお前、見た目も小さい頃から女の子みたいだったもんねぇ。
よく間違えられてさ、お前昔から可愛かったんだよ。」
◯「間違えられてましたね。」
★「家は男ばっかりでむさくるしいからさ、私は3人目は女の子が欲しかったんだよ。だからお前には女の子の服も着させたりしてね。
お前、嫌がらなかったもんね。
それにね、パパに1人くらい女の子が欲しかったって私が愚痴った事があってね。」
◯「うん」
★「その時こーんな小さかったお前がさ「ママ大丈夫!◯◯ちゃんが女の子になってあげるよ!」って言ったんだよねぇ。」
◯「そうなの?そんな事言ったんだ…覚えてないや」
★「ああ、お前言ってたんだよ。考えてみればあんな小さい時からずっとそういう風だったろうに、私も気が付かなかったんだねえ。」
◯「まぁ、学生時代なんかは、努めて男らしくしてましたから。」
★「そうだよね。お前凄く人気者で女の子にモテたじゃないか。そういうのはどうだったんだい?」
◯「う〜ん…まぁ男の子として学校にいたわけだから、そういうもんかなーって。凄く嬉しいとかは無かったかなぁ。」
★「私は女子高でさ、凄く女の子にモテたんだけど、別に嬉しくなかったから同じようなもんか笑」
◯「同じかはわかんないけど笑」
★「結婚した時はどうだったんだい?」
◯「人として好きだったから、一緒に暮らすのは良いと思っていましたよ。まぁ、性欲みたいなのが無くて性生活みたいなものはなかなか無かったけど。」
★「ああー!だからお前子供出来なかったのか」
◯「いや、調べたら身体も出来なそうな身体でしたから、そのせいだけじゃないかもだけど…」
〜〜〜
★「もうちょっと早く言ってくれたら、また違っただろうにねぇ。」
◯「30年前に?受け止めるのは無理だったと思いますよ。実際にお母さんには罵倒されたし笑」
★「そうか…悪かったよ。無理だったか…そうかも知れないね。
昔は知識も無かったしさ、今はそういう人がいるんだっていう知識が私にもあるから、また違うんだろうね、私も。」
◯「うん、無理だったと思うし、私自身でさえも無理で、どうして良いかわからなかったんだから。」
★「そうだねぇ、やっぱり無理だったんだろうなぁ。今、パパが生きてて知ったら、やっぱり難しかったかなぁ?」
◯「お父さんは無理だと思います。」
★「うん、あの人は受け止められなかっただろうね。
どんな顔して今私達を見てるんだろうね。
考えると面白いね笑」
◯「全然面白くないです笑」
★「私もさ、よくはわかって無かったから、お前時々やり過ぎだと思ってたんだ。」
◯「やり過ぎ?」
★「ほら、お前が女っぽい格好してても、よく似合ってたし、格好良いから良いやって思ってたんだよ。
でもまるっきり女にしか見えない日が増えてきてさ。」
◯「ああ、そんなこと言ってましたね。」
★「なんかいつだったか…お前が迎えに来てくれた時に、綺麗な女の人が入ってきたなーと思ったらお前でさ。」
◯「ああ、よく覚えてます。
私のことを気持ち悪いって言ってたお母さんが、私のことを綺麗な女の人って評してくれたのは、凄く勇気付けられたから笑
ノーメイクでわざわざメンズ服に着替えたのになーって。
まぁその後に本当嫌だね〜って言われましたけど笑」
★「ごめんよ!だってまるっきり綺麗な女の人にしか見えなかったからさ、自分の子供と結びつかなかったんだよ。」
◯「もう、これで生きてるから。
やり過ぎじゃなくて、今はこれが私の普通だからね?」
★「そうなんだねぇ。
だからあれだ、お前、女装してるわけじゃないって、自分のことトランスジェンダーだって言ってたんだね。
なんかさ私の子供にそういう珍しい人が生まれたっていうのが不思議な感じがするよ。
今はそういう知識はあるけど、周りに1人もいないからさ。」
◯「いてもわからなかっただけかもよ?身体も全部、戸籍も変えていたら私も周りに言わないし、今だってどうしても必要な時以外は言わないから。」
★「そうか…ひょっとしたらそうかも知れないね。」
〜〜〜
★「お前がさ、前に家に縛られて思うように出来なかったって言っていたのが、正直よくわからなかったんだよ。
あんなに優秀だったお前が、なんでいっつも自分を卑下して自信がないのかもよくわかんなくて…
何でかな?って思っていたんだよ。」
◯「お父さんは堅い職業で社会的地位があったし、お母さんはそれ以上に名士で有名人だったから…
勿論違法な事をしようと思っていたわけじゃないんだけど、何か騒ぎになるような、両親に影響があるような事は出来ないって、ずっと考えていたんです。」
★「そうか…やっと分かったよ。そうだったんだ。
1番自由そうにやってきたお前が、何でそんな風に言うのかと思ってたんだけど、お前はそういう意味で縛られているって言ってたんだね。なんかお前の行動とか選択とか、色々な事がみんな腑に落ちたよ。」
◯「今はやっと、今更かも知れないけれど、自分に素直に生きるように決めたから。」
★「もう少し早く言って欲しかったな。」
◯「まぁ…過ぎた事だし。
私もね、若い頃にこうなれていたら、違う人生だったろうなって考える事は勿論あるけど…
早く言っていたら、無理だったろうし、当時の社会的にももっと難しくなっていたと思います。」
★「無理だった…そうだねぇ。悪かったねえ。
でも、今日は楽になっただろ?」
◯「うん、凄くほっとした。沢山聞いてくれてありがとうお母さん。
さて、もう遅いから、白菜貰ってそろそろ帰ります。」
★「もう大丈夫だからね。またおいでよ。
私ゃお前が来ると嬉しいんだよ。」
◯「うん。ありがとう。」
話しているときも涙は出たけど、帰りはずっと声を上げて泣きました。
多分脱水で体重軽くなったよ笑
みんな今まで応援してくれてありがとう。
これで、あとはまた、自分が身体のことも含めて頑張るだけだよね。
幸せな感じで
なんかね、生まれ変わったように重荷が減ったような気がしています。
この日の事はずっと覚えておこうと思います。