4月19〜21日に【東京レインボープライド】というイベントがありました。
一部の人には怒られるかもだけど…
この件について私の思うところを、拙いながらも書いてみます。
暑くなってきましたね💦
このイベントは、LGBTQ+当事者並びにその支援者(Ally)共に性と生の多様性を祝福するイベントだったようでした。
ようでした?というのは…
まぁ今年のこのプライドパレードの期間の私は、前回書いたように色々個人的にやる事があったし、夜勤勤務も有ったし、勿論日程的にも行けないよーって言うのが本当なんですけど…
でも、それだけではなくてね、元々マイノリティ界隈にずっと疎いまま過ごしてきた私は、各地のそれぞれのプライドパレードやなんかには、これまでも1度も参加したことが無いんです。
そして実は…
なんとなく今後も関わる事がなさそうな気がしています。
セブンのイートインでもぐもぐ
私はね、近年知り合えてお会い出来たトランスジェンダーの方々は、本当にみんな良い人で大好きです。
トランスジェンダー以外も、友人になったレズビアンやゲイの人達だってみんな良い人だったし、感性や悩みが全然違っても、マイノリティとしての痛みも感じるし、わからないなりにお互いを尊重しあえるのかなって、お話していてとても楽しく時間を過ごせる方々ばかりに会ってきたのです。
自分が全然知らなかったことのお勉強にもなるし、視野も広がるし色々なお友達が欲しいなーとも思っています。
それでもね
「今後もパレード等にはあまり参加することは無さそうだなぁ」
私個人としてはそう感じるているんですよね。
これは多分ね、プライドパレードって開始当初レズビアン&ゲイの為のパレードだったからなのかはわかりませんが…
私にとって、こういったパレードみたいなものが、ずっと個人的にあまり馴染めないものかなーというイメージを持ってきたからなんです。
ジェンダーの不平等に限らず、デモみたいなもの自体、どんな種類のものにも、これまで私は参加して来なかったし、端から見ていてなんとなく馴染めなかったの。
そもそもの表現方法として、個人的にはどちらかと言うと苦手なのかなと感じます。
まぁそれ以前に、私は性的な表現自体も苦手だし、性格上、練り歩いて何かを主張すること自体に関しても、表に出ることが向いていないと言いますか、苦手だと言いますか、合わないと言いますか…💦
メガネ無いー😰(いやある)
そもそもね、自分がトランスジェンダーだなんて知識も無かった以前の私は、自分の性指向に関してもただただ淡白なのだとかんがえていたし、ゲイだともレズビアンだとも自分のことを考えて来なくて。
そんな私には、元々プライドパレード自体が自分とは全く無縁だと感じていたのかもしれません。
知識を得てから知ったトランスマーチみたいなものもね、自分と近いタイプのマイノリティの方々がいるんだなーって、知り合いが出来るかもって、興味は凄く持ったんだけれど…
やっぱり私自身はこういったマーチみたいな交流方法は上手く馴染めない感じがあるから参加しないんですよね。
最近オートバックスにも行ってきた
今回この話をちょっと書いてみようと思ったのはね、マイノリティ差別をする人は勿論、興味が無いタイプの人からも、ちょっと批判的な感想を持たれるような事が今回あって…
ちょっとそういうのを目にしたからなんです。
性嗜好的な展示?(SM?緊縛?)をしながらパレードしたみたいなお話ね。
これについて賛否(個人的に目にしたものは否の方が多いイメージ)あって、これについて少し友人にも聞かれたりしたので、私が友人達と話した私の感覚について、少しだけ書いてみようと思ったのです。
まぁ、個人的な感想は結論から言うと
そういうのは見たくない。或いは見せないで欲しかった。
になると思います。
個人的には賛成出来ませぬ
参加しないって宣言している私が言うのもなんですが…
私が考えるマーチみたいな社会運動って、何らかの主張があって、それを知らない人、知識のない人、興味もない人に対して、可視化して訴える効果を期待しているのかなーって思っていました。
デモなんかだと勿論、主張自体がなんらかの抗議だったりすることもありますね。
日本って、土壌的にあまりデモやマーチみたいなものはあまり生まれないというか…
西欧諸国に比べると少ないというか、規模が小さいというか…
個人的にはそんなイメージを勝手に持っていたんですが、皆さんはどう思いますか?
私に知識が無いからそう思うだけなのかな🤔
曖昧な知識で勝手なこと言ってスミマセン💦
ちょっと話が逸れましたね。
いずれにしてもね、プライドパレードの始まりって、差別(迫害)されていたゲイの方々の不満が爆発して始まったように私は理解していて。
そこから始まって、ゲイに限定せずに様々な人の多様性を認めて、全ての人が自分を卑下することなく誇りを持って生きていけるようにっていうのがプライドパレードの趣旨なんだと思っています。
一般的な認知としてはね、多分セクシュアルマイノリティのイベントとして、世界各国で認知されているんじゃないでしょうか。
素晴らしいことだと思うし、その趣旨に私も当然賛同はしています。
なのに参加はしないの?って言われそうね💦
私はGIDだから性自認としてマイノリティだし、レズビアンやゲイ、バイセクシャルの人が達は性指向としてマイノリティですよね。
でも、性嗜好を公の場で表現するのは、また違うんじゃないのかなー?って思います。
これは考え方の違いだと思うんですけどね、少数だったり、悪しき伝統や慣習といったものを正していくような、社会変革していく為には、既得権側に反論出来る隙を極力与えない方が良いと私は考えています。
「大人しくやったって舐められるだけだ!」
「注目されなければ伝わるきっかけにもならない。」
「大人しくしていては無かった事にされるだけだ。」
「そうやって無き者にされてきたのだ。」
こういった意見もわからなくはないし、時に過激な行動が無ければ変わらなかった事があるのは理解していますが…
でも今回みたいなのはどうなのかな…とやっぱり思っちゃう。
味方より敵が増えそうな事って、運動する意味あるのかなって。
反感があるのを分かっててそれを利用するなら、炎上系ユーチューバーとあんまり考え方が変わらないように思えるの。
私はできるだけ沢山の人と穏やかに仲良くしたい
まぁ私は以前書いたように、私自身が生きていく事で、私の周りの小さな環境だけかもしれないけれど、周囲の方々に納得されて、異物ではなく自然なものとして共存する記憶が伝わっていく事も無意味だと思っていないの。
慣習みたいなものが変わっていくには、長期的に見ればそういう個々の体験が、一般的になっていくことが1番大事なんだと思ってるから。
知識が無かったり、理解が無かったりなら知識を持ってもらえれば良いけれど…
論理的でない、得も言われぬ恐怖感とか嫌悪感みたいなものって、時間をかけたそういう事でしか、本質的には変わらないのかなって思うのです。
そういう観点からも、みんながパレードに参加しなくても良いのかなと考えているのもあるんですけどね。
寒かったり暑かったり💦
もうニットはしまう。
私は希望が最初から
【私を偽らずに普通に暮らしたい】
な人だから、こうなのかもしれませんけど…
やっぱり私は、凄く変わったエキセントリックな格好をしたり、フェティッシュな性嗜好を表現したりするのは受け付けないし、それは一般的な方の足が遠ざかる原因になると思うのです。
少なくとも私のパレードへの足は、また遠のいたと思います😔