雨桐悠生 雨さんの軌跡 (女性として生きる事を選択した人の奇跡)

半世紀過ぎてからGIDでMTFだと診断された人です。化粧品のアンバサダーモデルもやってたりします(*´∀`*)

MTF日記(86回目)ルッキズムのお話

先日、某Youtuberのトランス女性の発言が、Twitterで炎上したみたいなtweetを見ました。

見に行ってみたんですが、まぁ擁護派と批判派がはっきりみたいな感じで、今の社会がよくわかる印象のようです。

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その前には、某セクシー女優?のデートに関する認識の発言が炎上したらしいお話も流れてきたので、当該のtweetも見てみました。

 

2つは全く別の話ではあるんですけれど、見て私が思ったのは、まぁ現状の社会にあるルッキズムという差別観についてです。

 

所謂、外観至上主義ですね。

 

これってね、明確に差別なわけでして、人道的に倫理的に否定されなければいけないものです。

 

ルッキズムに関しては女性が被害者的みたいな事を言う方もいますが、まぁ男性、女性、トランスにもありますし、障碍者にも当然のように残っているのではないでしょうか。

 

だんだんと人権意識の高まりにより、少しづつ解消に向かってはいますが、現実として、世界中のどこの国でも、程度の差はあれ少なからず残っているんじゃないかな〜と思います。

 

非常に不公平で良くない事なんですが、統計的な結果も出ていたりして、就職の採用が実際に不利になったりしている場合が、明確に結果として出たりしていたんですよね。

 

これは良くないよね?という事になるわけで、差別解消に向けた運動が始まったり、徐々に人権に配慮する社会へと移行する事になります。

 

私もあまり詳しくないんですが、私の知る限り明確にルッキズムが差別として問題になったのは、元々は太った人に対する差別からなのかな?と思います。違ったらごめんなさい😵

 

一時期日本でも話題になったので、ご存知の方も多いと思いますが、米国で肥満の方が昇進出来なかったり、就職出来なかったりした事例があったんですよね。

モデルの不健康な体型の問題があったりもして、プラスサイズモデルが出てきたりもしていますね。

 

美醜の問題って難しくて、絵画の評価なんかがわかりやすい例なんですが、審美眼自体に凄い個人差が有りますよね。

だからね、被差別側としたら改善の努力をしても、実は終わりがないものだったりしますし、まぁ実際はルッキズムなんて言うのは差別側の主観でしかないわけです。

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すぐ二元論みたいな事を言う方がいて

美しいと感じるのも、醜いと感じるのも自由だ!

求愛されて醜いと思って拒絶するのは差別じゃない!無理なもんは無理!

みたいな事を言ったりする人が現れるわけですが、差別というのはそういう個人の感情的なお気持ちを制限する話ではないです。

 

そこには明確な不合理の線引きが有って、先に述べた就職の不利みたいなものは、基本的人権を尊重出来ていないから差別になるんですね。

彼氏彼女にするか?なんていうのは全然関係ないのでごっちゃにしたら駄目ですよ?

両者は差別という観点では全く次元の違う話です。

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私はね、自分がマイノリティであるし、全ての差別は無くなって欲しいと思っています。

だけれど、厳然としてある感覚的な美醜への個人的な感覚は、全く別の話なので勿論否定出来ないですよね。

 

お付き合いの相手とか人の印象とかね、私自身を省みても、個人的な美醜のジャッジは0では無いし、バイアスも少なからずかかってしまうのは、個人レベルでは無くならないと思うのです。

 

勿論、私個人は良くないと思っているので、外見的な判断は極力避けようと意識はしていますけど。

 

だからね、公的な制度問題として考えたら、やっぱりルッキズムは間違っています。

誰かを社会的なシステムの中で排除する合法性なんて無いんです。

 

でも、一方で、個人的な感覚の問題で言ったら間違ってはいないの。

後は表出の方法だけの問題で、コレは合法でもあるんですね。

 

つまり、問題への捉え方だったり、人権意識のある無しだったり、知識のある無しによって反応が分かれるから、沢山の同意があったり沢山の抗議があったりして分かれるわけですね。

だから、個人的なお気持ちの表出方法が稚拙だと、合法な発言でも、人によって、立場によっては差別的だと捉えられるという事です。

そう考えるとあまり言及したくない話ですね笑

 

まぁ話をごちゃごちゃにして考えるのが、そもそも論理的な思考、判断の欠如と言えます。

 

ちょっと表現がどうしても固いので、日記の主旨に従って、翻ってトランスのみについて考えてみると、所謂パス度みたいな話になります。

 

これもルッキズムの1種なので、実は非常に主観的なお話なんですね。

同じ人を見ても、その判断は前述したような感覚の差がバラバラで個人によります。

 

また、同じ人が同じ人を見ても、不信感を持って見るのと、信頼して見るのとでは、両方とも心理的なバイアスがかかるので、全く違う判断になりえるのです。

 

だからね、不快を与えないというのは非常に大切な事だし、私自身も最大限の努力はするんですけど、これは美醜だけの問題ではないんですよね。

所作だったり人柄だったり雰囲気だったり、そういうものが、周囲からの印象になって、社会的に受け入れられる大きな材料だと思っているのです。

 

これはジェンダー規範の強化だ!って差別的に捉える人もいそうだけど…現実的な現状への対応のお話でもあると思います。

そうしなければ私は生きてこれなかったし、生きていけないと思う。

まぁ私がバイナリであると言うのも、私がそう感じる理由なのかも知れませんね。


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そしてね、前述のバイアスの問題って実は凄く大きいので、私は私という人間がちゃんと伝わるように、危険な人間だとか自分勝手な人間だとか奇異な人間だとか伝わらないように、外見は勿論、外見以外も努力します。

ルッキズムを打開するのは、自分の努力による環境作りが1番大切だと思っているのです。

 

だからね、ネットでの話みたいに、

 

●外観が全て!

★いや、それは人権侵害だ!

 

なんて言ってしまうのを見ると、どちらも単純化したい思考回路なんだな〜としか思わないの。

いつもいつもそうですが、主語が大きいし大雑把過ぎる感じがします。

 

あのね、みんな歳をとるの。

正直80になって、おじいちゃんかおばあちゃんかわからない人なんていっぱいいるの。

そんな歳をとってからの事を考えたって仕方がない、そんなに生きないって若い人は思うかも知れないですね。

でもね、自分が60になった時に60でいられる保証は何もないのよ?

40だって50だってそう。

時は平等に過ぎて行くし、年齢を経る程に時間が経つのは早くなるの。

そして誰もが必ず老いるし死ぬのです。

 

だから私はね、出来るだけ長い間可愛くいたい、綺麗でいたいって思うし、その為の努力もするけれど、それよりも自分が死ぬ時に

「良い人だったね。なんだか可愛らしい人だったね。」

って言われるのが目標なのです。

 

私は沢山の人の最後に立ち会ってきたから、亡くなる時ってやっぱり独りなのを理解しているの。

だから余計にこんな考えになるのかもしれませんね。

 

でもね、とても困難な人生を歩んできた分、そういう風に終われたら、私は負けずに頑張れたんだな〜って納得出来ると思うのです。