今回の表題は、世間一般は勿論、当事者間でも解像度に疑念があり、ずっとあまり言及したくないと思っていた話題なんですが、まぁ最近も思うところがあるようなものを見たので、少しだけ私見を書いておきます。
これは私の個人的な知識と感覚なので、不快に思ってしまった方がいらしたらごめんなさい。
難しい話よね
所謂クロスドレッサーって、言葉の意味する分類の切り取り方自体がトランス女性とは全然違う分類のものではあるんですが、色々なポストを見ていると、なかなか知らない人も多いんじゃないかなーと感じています。
クロスドレッサーはトランスジェンダーではないんだけど、トランスジェンダーはクロスドレッサーになり得るし、クロスドレッサーはトランスジェンダーになり得るの。
わかるかな?笑
もう少し分かりやすく書いてみると、クロスドレッサーって言うのは性表現を表す言葉であって、性自認や性的志向を表さないって事。
対してレズビアンやゲイは性的志向を表す言葉だし、トランスジェンダーは性自認に関する言葉です。
分類ではあるけれど、何の分類か切り口自体が全く異なるんですよね。
切り口自体が違うので、当然重なった分類になる方がいます。
トランスジェンダーでありゲイでもあるとか、クロスドレッサーでありゲイであるとか、まぁそういった重なり方です。
だから、個人的にはやっぱりグラデーションがあると思っていて、クロスドレッサーの中にはトランス予備軍だったり、トランスジェンダーの卵みたいな人も、少ないかも知れないけれど、ちょびっと含まれているはずだと思います。
これね、居てもちょびっとなんだけど、ここを混同する勢いの人が、非常に多く見受けられるんですよね…
だから、もう少し書いてみましょう。
実際にね、以前書いた事がありますが、私自身の認識とは別に、客観的に見れば所謂【女装さん】って呼ばれていた時期が、私にも数ヶ月ですがあります。
私自身も、他の表現を良く知らなかったり、言葉の解像度が低くて、自ら異性装を自称していたくらい🤔
どういう時期を指してそう言っているのかって言うと、仕事やなんかの一般的な社会生活の殆どの時間を、他者に男性として認識されていた時期に、プライベートの1部の時間は女性として過ごしていたような時期の事です。
界隈で言う、所謂【A面B面】がある。みたいな感じの時期ですね。
男性で働いていた当時の仕事場で
私の場合はね、そういった時期って、中性を目指し始めてから始まった歩みの10年あまりのうち、GIDとして会社や友人にカミングアウトする直前までの、数ヶ月間のみでしたが、確かにそういった時期があったわけです。
そんなわけでちょっと解説してみると、クロスドレッサー(異性装者)はトランスジェンダーではない方が一般的です。(性自認に違和がない方が殆どで、性自認の不一致があるケースがレアケースとしてあるだけ)
クロスドレッサーの方の性指向は様々で、一般的なヘテロに加えてLGBといった性指向の方もいます。
だからね、クロスドレッサーである男装さん、女装さんはトランスジェンダーではないの。
トランスジェンダーでもある場合が、稀にあるというだけ。
それはクロスドレッサーではない方の中にもトランスジェンダーがいるのと同じことで、比率の問題です。
性自認の不一致も無くて、性指向も一般的な方が異性装者になったりするわけですね。
いったい何故?
ここまででそう思った方がいるだろう事が予測されますので、そういった方々の一般的に考えられる理由を書いてみます。
・単なる ファッションの嗜好、趣味
・「らしさ」のようなジェンダーバイアスからの解放や抵抗
・変身願望 コスプレ
・宗教儀式
・異性装による性的な興奮
こんな感じかな?
上記のどの動機も、私のようなトランスジェンダーには全く無い感覚なので、私の個人的な異性装者への解像度はこんな感じ😵💫
学んで知識を得てみると、前述した私の数ヶ月の状態は、こういう動機的な側面から考えて見ると、正確にはクロスドレッサーではない感じなんですが…
大枠での言葉による分類としては、クロスドレッサーと言えなくもない…のかな。
そういった時期が何故数ヶ月と短かったのかを今更考察してみると、これはやっぱり私の性格が一つの要因だったのかなーって思います。
ここからは私個人だけのケースデータのお話をしてみます。
みんなじゃないからね!笑
私は中性を目指していた時期にね、所謂異性装っていうものを、家の中で1度試した事があって…
でも1度だけで止めて、以後数年は中性を目指して、標榜して生きていたんですよね。
当時は前述したような言葉の定義さえ無かったり、曖昧だったりした時代なのもあるけれど、その当時時点の自分は、女性になることは外見的にも無理なんだ…という感想を、自分自身を見てみて結論付けていたわけです。
やってみて、素質もないんだな…って、自分の姿がとても悲しかったから😢
だからこの時は女性ではなくて中性を目指す事にしたんですよね。
まぁダイエットしたりボディメイクしたりスキンケアをしたり、言葉使いや所作も含めて。
なんと言いますか…
まぁ我ながら冷静と言うか真面目と言いますか、性違和がある状態での判断なのに、慎重な判断だったと思います。
勿論そのせいで、余計に苦しむ事もあったんですけど🥲
その後何年も経って、自分自身の外見を少し許せるようになってから、やっと少し女装してみるわけですが…
許せ始めた後もね、一時だけ女性として過ごして精神的安寧は感じていたけれど、また男性としての生活に戻る必要があるわけです。
それは私にとって、一時的にはとても安らげる時間が得られ、貴重な時間ではあったけれど…
同時に男性として過ごさなければならない時間に戻ることが、とても自身にとっては不自然だから、余計に苦しい時間でもあったんです。
知らなかった心の安寧を知ってしまったから。
ご飯食べに来ただけだけど安寧なの
私は自分が男性では無いのだと意識した時から、女性として生まれたかったという思いと、そう生まれなかった事で男性でいようと努力して過ごす自分との対比で、過ごしてきた人生と自分のいる環境に絶望する思いで、かなりの期間苦しんできました。
だからって当時の私は、自分が女性になれるなんて全然思えなかったし願えなかったんです。
知識も無かったし、社会的にも私のようなタイプの人間が踏み出すには、社会のハードルが高すぎたと今でも思います。
そして、知識を得て時代が変化していき、社会環境が少しづつ変化したことが分かってきた後もね、今度は自分を客観視すれば歳をとりすぎていたと考えたし、自分が外見的にも男性的だと知っていたから、やっぱり踏み出すのは、私にとってなかなか難しかった。
だってそれまで、なんとか男性であるように、男性として暮らせるようにと、沢山努力していたんだから。
そういう現実の状況からね、病んでしまいそうな心を、パートタイムで異性装をする事で自分を慰めたり、精神のバランスをとってみようと試みて、性の同一性を外観や振る舞いからチャレンジして、自分の性違和を我慢していこうとしたけど…
私には苦しくて、長い間は無理だった。
だから数ヶ月で、ちゃんと進むしかないってなっていったんだろうと思います。
当時の私みたいな感じの理由でクロスドレッサーになって、その後私とは違って我慢し続けているタイプのクロスドレッサーって、多分中にはいると思うんですよね。
まぁ私はそれを受け入れ難くて、そうは出来なかったわけだから、これは私の想像でしかないんですけど…
凄く少ないかも知れないけれど、
でも多分いるんだと思うの。
環境が私よりも更に厳しかったとか、その人の性格的なものとかね。
多分いるよねぇ
ずっと昔、最初中性を目指していた頃の私の場合はどうだったかというと、私のスタートは前述した感じ。
現実的に急に女性になれないし、かといって一時的に限られた環境下と限られた時間の中で、クロスドレッシングすることで女性として過ごす事がもし出来たなら、当時も心の安寧と開放をもたらしてくれたのかも知れない。
けれど、実際に1度試してみて、私自身が私の姿を認められない現実があったから、私にはクロスドレッサーと言う選択肢は当時無くて。
だから中性を目指して努力してはいたけれど、自分が悲しくて良く泣いてたな…
性別移行どころか、クロスドレッサーにもなれない自分の現状に打ちのめされてたの。
だからね、現実を極力壊さない形で自分を守る為には、どちらでもない真ん中でいるしか、生きる術はないって当時思っていたんです。
色々な知識も無かったの事も原因ではあったかも知れないけれど、私の当時の考えはこうだった。
そんな風に中性でいようとしていたから、日常的に中性的なファッションをしていて。
レディースを着てははいたけれど、ボーイッシュというか、まぁ中性的な格好にまとめて、ギリギリ男性としても通用するようなつもりで暮らしていた感じ。
人への対応もね、舐められないようにわざと凄く粗暴だったり、衝突するのを厭わない努力をしていたけれど、そういった事もやめました。
勿論外観だけでは無く、私は自己表現として自分が中性であるように、またそう見られるようにと意識して生活していました。
ところが…
中性を目指して外観が変わり生活も変わると、5〜6年かな?時間はかかったけれど、だんだんと私に対する周囲の認識が変わってくれました。
生活を続けるうちに
「女子力高い男性」
「女性的な人」
「どちらかわからないような人」
といった感じに、次第に変わっていったのです✨
だからその間ノンバイナリーを気取って中性を標榜することで、なんとか生き続けられていた感じ。
そんな期間が結構長かった。
パートタイム的に女性的な格好をするって言うことはね、私の場合はやってみたけれど、当時全然上手くいかなくて、やってはみたけれど全然可愛くならなかったし、残念な感じになったんですよね。
私は自分でそれが受け入れられなかった…
だから私の場合は中性を目指したのは、所謂妥協の産物だったんです。
それがね、中性を標榜して生きているうちに、意図せずにだんだんと、周囲から私への認識が前述したように変わっていきます。
そして遂に
「どっちかわからない人」
と認知をされるようになってくると、偶にプライベートてフェミニン寄りな格好をしても、以前のような自分を許せない感じが薄れていたんです。
普通にしていても、街での扱われ方が女性として扱われる形になっていって…。
良く間違われたから、それはそれで面倒でもあったの。
そんな状態だから所謂B面みたいな変化は、私には当時からあまり無かった感じ。
違いといえば「仕事ではメイクはしないけど、プライベートではナチュラルメイクはします。」
みたいな差で、着るものも変わらないしね。
フェミニン寄りと言っても、通勤もプライベートも私の手持ちに特別なものはなくて、着用する服自体は変わらないから、若干組み合わせだけが変わるくらい。
スカートは穿かないし、ワンピースも着ない。
そんな感じ。
暫くして、何も知識の無かった私が、意を決して進んだのは、周囲の私の認識が「どっちかわからない人」になった事も一因なんです。
普段周囲の判断が、どっちかわからない評価なら、頑張れば今なら異性装した自分が許せるんじゃないかって思ったんです。
そうして、実際にクロスドレッサーとして外に出る事で、少しだけ異性装界隈の人や性的マイノリティな方々とも知り合うようになって。
それからは、そういった方々と話す事で、色々異性装さんについての知識、トランスジェンダーについての知識をやっと得る事が出来たの。
知ってみるとね、私と女装さん達って全然感覚が違っていてね、考え方も進みたい先も、動機さえも私とは全く違っていて。
それを私は面白いな〜って思ったし、私が悲しくなったり苦しくなったりしないようにするには、トランスジェンダーとして進まなければならないんだなって考えた事を良く覚えています。
勿論ね、中性当時の私も、フェミニンな格好には憧れはあったし、可愛い格好もしてみたい気持ちが無くはなかったけれど、当時の私にとって重要な事は、日常の生活から全てにおいて、他者から私への認知が男性ではないように、中性的な人として捉えてもらえるようになって欲しいと思って努力していたから、社会的に男性としての暮らしを維持しながら、その先で「あのヒトどっちなのか分からないよね」
みたいなものになろうと頑張っていたんです。
ノーメイクで2年くらい前
一時的に女性になるではなくて
どんな服を着ていようがメイクしていようがしていまいが、男性か女性か、どちらかわからない人になる
これがが私の当時の妥協した主題だった。
今考えるとね、所謂mtxのトランスジェンダーとして行動していた形なんですよね。
事実、知識がついてからですが、mtxを名乗ったりしていた時期もありました。
そういう社会的な認知が落ち着いてから、色々なきっかけを経て、改めて自問し始めるわけです。
私はこのままで良いのだろうか?
本当はどうなりたいのか?
どうあるのが私にとって1番自然なのか?
果たしてそれは私に可能か?
不可能なら諦めるのか?
今後どう生きてどう死ぬのか?
受診を考え始めた時は不安でいっぱいだったけれど、もし学会のガイドラインに沿って正攻法でいって診断が出なかったりしたとしても、それなりに自分でまた可能な対応を考えようと決めてはいたんですよね。
このときには医学的な事も含めて、沢山知識は得ていたし、後戻りするような決断じゃないから。
だからね、私はGIDでトランスジェンダーではあるけれど、女装家じゃない。
クロスドレッサーじゃないし、ましてや男の娘でもない。
ニューハーフでもないの。
ゲイでもないしレズビアンでもない。
知らない人は混同するし、知るのは大変よね…
頑張って書いたけど、ちょっとわかりにくいかな🤔
まぁ、一緒くたにして混同してしまうと、当事者は勿論、周囲も色々な事を見誤ってしまう事をお伝えしたかったんです。
まぁまたいつか書きます😐