雨桐悠生 雨さんの軌跡 (女性として生きる事を選択した人の奇跡)

半世紀過ぎてからGIDでMTFだと診断された人です。化粧品のアンバサダーモデルもやってたりします(*´∀`*)

MTF日記(77回目) TGや女装のカテゴライズについて、自分の経験とそこから考えること

どうも、女性としての生活も安定してきて、2023年を迎えましたが、仕事柄盆暮正月もあまり関係ないので、日々淡々と生活している私です。


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今日は、Twitterのフォロワーさんや、リアルなお友達、知人を見てきて、自分自身のジェンダーアイデンティティや生活の変化について、考えた事を少し書いてみます。

私個人の事ですから、他の方には当てはまらない事なので、そういう人もいるんだな〜くらいでご理解いただけたら幸いです。

 

私自身はね、自分を対外的に表現する言葉として、今現在はGIDmtf、トランス女性等を使用する事が多いです。

今はGIDが多いかな?

正直なところですね…

自分が「私はこれです!」ってカテゴライズして決めたわけではないんです。

私が自分の性別に違和を感じて苦しみ始めた当時は、そんな言葉は無かったし、知る由もなかったのですから。

 

小さい頃はね、周囲に女の子だと思われていても、特に悩んだりはしなかったから、恋愛含めて色々周囲の認識と自分の認識に不都合が生じて

「あれ?自分がオカシイのだろうか?」

「こういうのは表に出してはいけない…」

って感じ始めたのは15〜16歳になってからの事で。

 

それからずっと押し込めて、逃避したり暴力的になったり自暴自棄になったりしながらも、なんとか生きて、沢山の時間が過ぎていきました。

 

社会がゆっくりと変わり、30代後半になる頃には、世の中には色々な人がいて、それをカテゴライズする言葉も出来ている事をようやく知り始めます。

 

そうして、少しだけ寛容になってきた社会の中で、自分自身を許容して生きていく為に、少しずつ中性化を目指して行く事にしました。

 

男性として生きる事を受容するしかなくて、ずっと我慢してきた私は、知識を得た時にはもう、女性になるのは遅すぎると言う理解で、到底私には無理だと考えていました。

だから、中性を標榜したんです。

 

それから10年あまりの間に、個人的に自分の考えを少し柔軟にしてくれるような経験が色々ありました。

震災があった事や、看護師になった事、なった後に女性社会で生きてきたことも、その経験、経過の一部だったと思います。

そうして過ごしている間に、世の中のマイノリティに対する認知度も、寛容さも、勿論充分ではないし、相変わらずマイノリティはマイノリティではあるけれど、更に社会環境はどんどん変わっていきました。

 

私自身は、普段の日常生活では男性として生きながら、中性を標榜するようにはなっていましたが…

段々と休日等に自宅で異性装をするようになっていきます。

色々なきっかけが重なったんですが、1番考えた事は、色々な方の人生の終焉に立ち会うことで、私自身の年齢も感じて、自分の余命を考えるようになった事が、大きな一因だと思います。

「私はこのまま全て我慢したまま死ぬの?」って。

 

中性を標榜して生きると言ってもね、私は小心で真面目なので、自分の社会生活を考えると、あくまでも男性の枠を逸脱し過ぎないようにするしかなかったんです。

それをね、休日だけ、家の中だけとはいえ、自分を開放する手段として、本格的に異性装をしてみようと考えました。

 

初めて異性装をした自分を鏡で見た時の気持ちはね

「なんなの、この残念な生き物は…」😭

こんな感じ。

 

女装さんが初めて女装した時の気持ちでよく聞くような、喜びとか開放感とか、私はそういうの全然無くて…

ただただ自分自身が残念で悲しかった。

 

それまで、中性でそれなりに見られるようにまとめていたつもりでいたけれど、ちょっと女性に振ってみたら、非常におかしなバランスの悪い生き物になったんです。

なんか私って全然中性でもなかったんだな〜って、自分の男性性を再確認して、うんざりして、絶望的な気持ちだったのをよく覚えています。

「私はこんな風になりたいわけじゃない」

って、凄く悲しかった。

 

でもね、そのまま諦めて死ぬのはやっぱり嫌だったんです。

知識を得てしまっていたから。

そこで私は一旦異性装を一度しただけで止めました。

中性を標榜したままに戻って、先ずは素の自分をもっと女性的にしていこう、ベースからもっと頑張らないとって考えたんです。

勿論可能な範囲の限りですが…

 

そうして、それまで続けてきたダイエットをもっと厳しくして、筋肉を落として、ウエストを絞って、肌や髪のケアを始めて、所作や話し方に気をつけるようになります。

一人称もこの頃変わったのかな。

異性装をした自分が、変身したとか可愛くなったなんて全然思えなかったから、根本的に自分に資質がないんだと思ったんです。

 

だからね、女装さんの言う所謂A面とB面のギャップが良いのだとか、変身願望が満たされるとか…

そういう感覚は私には全然なかった。

そういう感覚は今でもわかんないです。🤔

私は素の自分がずっと嫌だったから。

 

私にはギャップなんて全然必要無かったし、素の自分が駄目だから、素の自分を少しづつ磨くしかないって思っていました。

そして同時にそれが、とても難しい事も感じてはいたけれど、それしか考えられ無かった。

整形とかね、メスを入れる選択肢も、私の環境や私が培ってきた倫理観の中には無かったんです。

だから難しいとわかっていても、自分の男性性が嫌いな私にはそれしか選択肢が無かったんです。

 

後々、沢山の女装さんと知り合えた時にね、色々お話をしていて、私と随分違うんだな〜って最初に思ったのは、動機とかきっかけとかね、前述した異性装経験の感想とか、こういうところなんです。

始まりからみんな私とは違うんだな〜って。

 

スカートが穿きたかった、着たい服を着たかった

可愛い下着を身に着けてドキドキした

変身した自分を意外とイケてると思った

可愛くなった自分が嬉しかった

普段と違う自分の姿に喜びを感じた

 

こんな話を沢山聞きました。

でも、私の場合はこんなの全然一つもなくて、ただただ自分の姿が悲しかった。

 

だからね、一度してみた異性装は、自分にがっかりしてやめてしまったけれど、異性装をしなくても、自分が努力する事で、肌が少しだけマシになってきたり、髪が伸びてきたり、手脚が華奢になってきたりね、そういう自分の男性性が減っていく僅かな変化の方が、私にとってはずっとずっと嬉しかったんです。

 

そんな暮らしを続けていくうちにね、段々と、今までと変わらず同じ中性的な格好をしているのに、トイレなんかで時々女性に間違われて、驚かれたり、2度見されるようになっていきました。


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こんな頃からかな?

 

そんな経験が積み重なっていく事で、やっともう一度異性装をしてみる気になったんです。

今なら異性装しても、以前よりもう少し自然に思えるかな?自然に振る舞えるかな?って。

ちゃんとメイクを始めたのもこの頃から。

 

で、やってみました。

結果、やっぱり思ったほどは喜べなかったです笑

 

けれど、初めて異性装してみた時よりは大分マシになったな〜とは感じる事は出来ました。

それから1年弱かな?家の中だけで、もっと自然になりたいって、もっと女性的になりたいって、メイクや歩き方、所作も含めて、努力を続けて行くようになります。


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少しメイクに慣れてきたつもりだった私😂

 

拙いなりにずっと頑張って、少しマシになってきたと思えるようになってから、頑張ってきた自分の変化が僅かなものでも嬉しかった。

だから誰かと繋がりたくなってSNSを始めてみたりしました。

外に出始めたのはそれよりもずっと後になります。

外に出るようになってからも、買い物に行ったりするだけで、1年くらいは誰にも会わなかったかな…

 

とにかく、女性として自然に過ごせるようになりたくて、少しで良いから、時々でも良いから、女性として過ごす時間が欲しかった。

そんな感じでした。


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濃いめのメイクに挑戦中の頃

 

だからね、後々色々な人とお会いしてお話するようになったら、異性装に至る動機から感想から経過から、私とは全然感覚が違う人が殆どなんだな〜って、凄く興味深かった事を覚えています。

当時は自分のことを、cdと表現していて、B面をA面に近づけるスタイルって言ってました笑

 

色々な方を見たり、仲良くなってお話したりするうちに、段々と知らなかったマイノリティに関する知識も増えてきて、自分でも調べるようになり、色々LGBTについての知識も更に増えていきます。

知識が増える事で、自分は何者なのか?本当はどうしたいのか?何が可能なのか?改めて考えるようになりました。

そうして、父の死、オーディション等色々な経験も重なって、受診することを決める事になります。

 

だからね、私の場合は受診し始めた時も自分に確信があって受診したわけでは勿論ないし、手術や治療を望んで必要に迫られて受診したわけでもないんです。

自分が望んでいることが、客観的に見てどうなのか、学術的に見てどうなのか知りたかった。

 

後々になって他のmtfさんと受診や診断についてお話するようになってみるとね、既に女性としての生活実態が沢山あって、確認的な感じで受診(診断書を取る為という感じ?)された方だったり、性別の違和(特に肉体的なもの)の解消(治療)の為に受診された方(これも診断書を取る為という感じ?)、手術後々の戸籍上の手続きの為に診断を受けた方等のお話をよく聞きました。


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これは人にお会いし始めた頃の私

 

私の場合は、ずっと我慢してきてしまっていたし、時代や知識の無さがあったとしても、自死しないでずっと我慢出来てしまっていたから、知識を得るにしたがって、自分の感覚が可視化してきてはいたけれど、それでもやっぱり自分にあまり自信がなくて…

専門家から客観的に見た私はどうなのか知ることは、当時の私にとっては、とても重要な事だったんです。

このまま進んで良いのか、昔のように諦める方が良いのか、今のまま立ち止まるのが良いのか、診断だけで決めるわけではないけれど、少しの後押しになる指針が欲しかった。

自分の外堀を、考え得る限り埋めて行く感じだったかな…

私は医療者だから、医学的な知見が知りたかったと言う理由もありました。

当時はそんな気持ちで受診を決めたのです。


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これが初受診ぐらいの頃

 

勿論私の心情としては進みたかったんです。

少しだけ(当時は月2〜3回かな?)女性でいられるようになってきて、それは私にとっては、今まで経験したことが無いくらい、とても精神的に落ち着ける時間で。

純粋にそういう時間をもっと増やしたかった。

毎日そういう暮らしをしたい気持ちが強かったと思います。

 

でも、私は歳を取り過ぎていて、積み重ねた人生と人間関係と毎日の暮らしがあって…

今まで生きてきた自分の全てを捨てる選択肢は私には無かったの。

それは自分も周りも不幸にすると考えたんです。

私がそれ以上に進むには、自分の気持ち以外の、何か沢山の別の力、後押しが必要だった。

 

私の場合はこの大事な時期に、幸いな事に色々な後押ししてくれる人や経験が重なって、進む気持ちを保つ事が出来て、進む選択をする事ができました。

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これはモデルの2次オーディションくらい

 

最後の一押しにする為に、客観的な公的な診断の結果次第で、自分が進む為の証明と材料となるだろうと考えて受診を決めたのかな。

だから診断が降りなかったら、本当に諦めるつもりで通院し始めました。

 

同じような人もいるのかもしれません。

でもね、前述したように、全然違う人も沢山いるのを実際に見聞きしたし、寧ろ違う人のほうが多いのだとも思います。

それでも事実として、私の場合はこんな経過で受診を決めました。

 

だからね、私の中では異性装だけの人も、GIDも、性別移行したトランスジェンダー女性も、みんなグラデーションの中にあって、それはけして本物とか偽物とかじゃないし、覚悟の差でもないと私は思っています。

それはそれぞれの時代や環境だったり、性格だったり、タイミングや運だったり。

色々な原因で、出来ることの差異が出てくるものだと思っているから。

だって私自身が、ずっと悩んでいても知識がなくて、長い間自分が何なのかよく分からなかったんですもの。

だからね、自分とは違うからと言って、環境も生育歴も時代も違う人を、自分とは違う、本物だ偽物だって差別する人は、自分の恵まれた環境や資質を理解出来ていないのだと思います。

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これは私が男性として最後に会社の研修に参加した時の様子

 

私は色々な方と知りあって話していくことで、私とは初めから動機からきっかけから経過から指向から、全く違う人を沢山見てきたけど、その方達の本当の生い立ちも生活環境もわからないし、ひょっとしたら口には出さないけど、本当は私と同じ部分がある人だったり、私よりずっと難しい環境でただただ我慢している人かもしれないのだと考えるようになりました。

勿論、単純に性的な嗜好だけで、根本的に全然違う人も勿論沢山いるのでしょうが、全体がそうだとは私にはとても決めつける気持ちにはなれないのです。

私自身があんなに打ちのめされていたんだもの。

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私は思春期から困って、悩んで、我慢してきたけれど、最初の恋愛で受け入れてもらえていたら、また全然違う歩み方をしていたかもしれません。

時代が変わらなかったら、トランスどころか異性装さえも出来なかったかもしれません。

新しいカテゴライズの言葉が出来たり、学術的に研究が進まなければ、知識も無かったでしょう。

知識が無ければ、ずっと悩んで惰性で生きているままだったかもしれません。

自分がどうしたいのか、自分自身を認識するだけでも、少し時代や環境が違ったら、どうだったのかわからないと思うのです。

 

実際に進む過程でもね

 

元々の中性を標榜した時点で、周囲に否定されていたら?

最初の頃に私の変化を肯定してくれる応援してくれる女性の友人が出来なかったら?

オーディションみたいな自己肯定感を得られる出来事が無かったら?

私に好意を寄せてくれる方々が一人もいなかったら?

同じ様な思いのグラデーションの近いトランスジェンダーの友人と知り合えなかったら?

厳格な父が存命だったり、同居していたら?

受診して診断が降りなかったら?

カミングアウトした時に友人や仕事場の人間関係が崩れていっていたら?

母に強烈に拒絶された時に、姪に擁護されていなかったら?

私を守ってくれる方がいなかったら?

 

様々なタイミングで、どれか一つが欠けても、私はそこから進めなかったような気がします。

或いはそれでも自分の思いだけで進んだのかもしれません。

しかし、それでは今とは全く違う生活環境になっていただろうと思うのです。


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1枚目の診断が近い頃(カラコン入ってます)

 

見る人によってはね、私の歩み出しはとても遅くて、遅すぎたと思われる方もいるかもしれません。

でもね、私自身としては、私は凄く色々な事、周囲の人々に恵まれていて、奇跡の連続に恵まれて今に至ったと思っています。



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だから、今年も私の周りの皆さんに感謝して、一步一步だけど今の生活を積み重ねて、私が自然な形で笑っていられるように、頑張って行こうと思います。