雨桐悠生 雨さんの軌跡 (女性として生きる事を選択した人の奇跡)

半世紀過ぎてからGIDでMTFだと診断された人です。化粧品のアンバサダーモデルもやってたりします(*´∀`*)

MTF日記(12回目)オーディションの書類選考

2021年8月のお話

この年の8月は、私にとってはちょっとエポックメイキングな出来事がありまして。

その話を混ぜながら、この頃のことを書いてみます。

先ずはこの頃のB面?(ノーメイク時の意)です。


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私の家ってね、時代錯誤も甚だしいんですが…😰

まぁ祖父は士族表記だったりして、母にはそういうプライドみたいなものもあって、武家の子みたいな教育家庭だったんですよね。

勿論時代的にも母やなんかは、そんな表記とかも何もナイ訳ですけど、そういう時代背景もプライドも持った人達が親なわけです。

だから勉強が出来ないとか、男らしくないとかは、とても許されない家庭で育ちました。

 

加えて、父の仕事の関係で、毎年引っ越して転校するような感じ。

大人も大変だったでしょうが、私達子供も結構大変でした笑

転校する度に私は、女男呼ばわりされて地域の悪い子に苛められそうになるので、私の場合は、先ずガキ大将みたいな子を見つけて、勝負していました。

これやっておくと、取り敢えず苛められはしないという…

 

母は私のこういう苦労は知らなかったでしょうね。

 

小学2年生の時の転校先で、近所の6年生のガキ大将に泣かされて帰った時は、

 

勝つまで帰ってくるな!

 

って家を一晩追い出されるて物置に入れられるような家でしたから。

 

今考えると私可哀想😂

 

勉強もね、オール5とか、オール10とかもらっても、当たり前みたいに褒められ無かったな…

 

まぁ兄達が優秀だったので、そのせいもあるのでしょうけどね。

 

私は足が速くて運動が得意だったので、両親にとっては兄達とは別に、私だけそういう期待も持たれている自慢の息子みたいな感じでした。

だから、性別違和どころか、普通の悩みでさえも、とてもとても親や兄弟に相談なんてする環境ではなくて…

凄いグレてもオカシクない笑

 

でもね、私は父が大好きでとても尊敬していました。

あまり家にいなかったけど、父には一度も怒られたことがないくらい優しい人でしたし、真面目で偉くて格好良い人でした。

 

そして母のことを深く愛していて、私が何かやらかしても

「母さんを怒らせたり悲しませたりはしないようにな」

とだけ言って、ニコニコ笑っているような感じ。

 

母は母で変わった人ではありますが、色々天才的な才能のある人で、私は凄く尊敬しています。

偏見の強いところは好きではありませんが、それ以外は総じて好きだったりします😅

 

だからね、ジェンダーで悩む事がある度に、父や母が困らないように、自分がおかしいんだぞって、自分がだめなんだぞって、表に出しちゃ駄目だぞってずっと思ってました。

 

そんな私がね、、ここまで書いたように少し開放された行動を取るようになっていったのは、欲しかった自分の子供を諦めたからというのが1つの理由です。

「お前の遺伝子が残らないのだけが残念だ」

って老いた父や母の口から聞いた時に

ああ〜そこは諦めてくれたんだなって、頑張って生殖活動しなくても良いんだな〜って、何か少し安堵しちゃったんです。

 

今までこんなに頑張って、何十年も秘めてバランスを取っていたけれど…

今更だけど少し取り戻そうと、ちょっとだけ我を出して頑張ることを考えて、メイクも始めたわけです。

 

だけどね、安堵した時に

私はこのままで、この頑張りは何の結果もないまま老いて死ぬのかなって🥲

ちょっと思ってしまって。

 

でも、両親には絶対にカミングアウトなんて出来ないし、お休みの日に女装して過ごして…それで終わりなんだな〜って。

ちょっと自分の人生の終わりを考えたんです。

 

私は職業柄、もう100人近く亡くなる人を見てきていますし、コロナ禍もあって、私と同年代の方も世界中で亡くなっているし、現場にいる私は油断したらいつ感染してもおかしくないし…

 

父の健康状態も緩やかに悪化していて…

 

自分の死が凄く身近に感じられる環境だったのか、鬱気味だったのかわかりませんが、そう思ったんです。

 

だからね、何か頑張った証が欲しかったんですよね。死ぬ前に笑

 

そんな時にね、TwitterでハイクオリティさんのQUALITYENATURAというコンシーラーのね、モデルオーディションの開催を偶然見て、応募することにしたんです。

 

いやいや…半世紀男性として生きておいて、化粧品のアンバサダーモデルに応募ってね笑

自分で振り返っても血迷ってますよね😅

 

で、血迷って応募しました🥶

 

すっぴんの正面と横顔の無加工の写真を付けて(これが応募の条件だったかと思います)

 

「応募する歳じゃないし、メイク歴もまだ一年半でまだまだなので、応募するのも申し訳ないんですけど…

ずっと独りでやっているので、何か自分が頑張っている証が欲しくて、応募だけはしてみようと思いました。」

 

と書きました。

 

 

前置きが長かったわけですが、この8月のエポックメイキングな出来事とはですね

8月の終わりに一次審査合格しましたってメールが来たんです!

二次審査があるので10月に新宿の事務所ヘきて下さいって🥳🎊

 

このDMもらった時はね、

ヤッタァアア!ってもうね、嬉しくて涙が出ましたよ😭

なんか頑張りが報われた気がして、一次審査だけど、嬉しくて嬉しくて、泣くくらい満足したのを覚えてます。
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これが添付されてDMと一緒に送られてきたんです。

 

多分ね、今考えるとTwitterに載せて宣伝する為の証明書だったんだと思います。

 

でもね、私はもう嬉しくて嬉しくて、大事に保存して、誰にも言わないでニヤニヤしていました。

 

役立たず笑

 

私はちゃんとメイクし始めてまだ1年半だし、ダイエットもこの7〜8年だし、年齢もコロナで死んでもおかしくない年齢だし笑

 

1次とはいえ、通過出来た事自体が望外で…

なんか、これ続けても良いんだよ、進んでも良いんだよって言われた気がしたんですよね🥰