お久しぶりです。
近年毎年の事ですが、今年も介護問題もあって、1w程東北へ行っていました。
これは仙台を歩く私
まぁ介護問題と言っても施設だけの問題ではなくて、朽ちた家屋だったり、飼育崩壊した猫達だったり、色々と問題があるので、近年は半年毎に行くようになっています。
以前はね、毎年違うところに旅行に行っていたんですが、認知症でトラブル頻発するようになってからは、ここ4〜5年はもう東北にしか行けていないんですよね💦
岩手の雪景色
皆さん経済的なことも含めて、「自由に出来ないし大変だね」って言ってくれるけど…
それでもね、一応休暇を取るので、毎回帰りに仙台に寄って、1日か2日は仙台で束の間の休暇を過ごして、リフレッシュするようにしているんです。
私仙台好きですし☺️
馴染のお店もあるので、意外とリフレッシュ出来ていると思っています。
安いよ!
さて、今回はトランスして生きると言う事について個人的に意識してきた事について、少し書いてみたいと思います。
私は高齢だし、まだ治療開始してから2年くらいだし、よちよち歩きなわけで、正直なところトランスについて、何かを教えられるような立場ではありません💦
ただね、自分もそうだったんですけど、社会的に十分に経験を積んできてしまった人が、どうやって性別を変えて生きていけるのか、ロールモデルみたいな人は見当たらなくて、昔沢山悩んだの。
多分上手くやっている人の情報はそんなに多くないし、上手くやれている人もあんまり表に出たくないと思うんですよね。
旅館で色々考える
で、今自分がこうやって生きていて、手探りでここまできた経験はあるけれど…
私は多分周りに恵まれた環境故に、今ある程度幸せに過ごせているわけですが、これって極めて個人的な私個人の条件下の話で、それが良かったのかどうかは正直わからない。
少なくとも、全てベストな選択をしてきたわけではないと思うんですよね。
だから、他の方にも適応するような方法ではないわけで。
自分の経験は1ケースデータでしかないし、私は研究者ではないから、私のケースしか知らないのです。
移動中の私
ただね、私もGIDの例に漏れず、沢山落ち込んだりして生きてきたけれど、私が歩んできた選択肢のタイミングや是非はともかく、結果的に今のところ私は以前より比較的無理なく幸せに暮らせているの。
だから
「ああ、こんな風に暮らしてる人もいるんだなー」
って、同じように悩んだり迷ったりしている誰かの勇気になれば良いなーとは思っています。
私は運動したりデモに出たりもしないし、講演したりすることもなく、普通に生きていて。
何かを体系づけて教えられるような立場じゃない。
ただ
貴女の話を聞きたい
貴女を知りたい
って言われれば、自分の経験の一部だけなら伝えられるだけ。
仙台楽しかった
特別じゃない、普通に生きられるって当たり前の事が私にとってはとても大切で、それは多分他の誰かにとっても大切な事だと思うの。
勿論自分が手探りだから、振り返る事で推考してみたりね、そうするつもりで私は私の日々を記録しようと思ったんですが、部分的にでも誰かの役に立つかもしれないって言うのも、記録する意味の1つなんですよね。
生きているとね、ものの捉え方が変わったり、受け取り方が変わったりして、考え方が変わったりすることもあるけれど、そういう変化も含めて記録することは、読み返して自分が迷う時の糧にもなるから。
以前少し書いた事があるけれど、私は弱いし色々なものを捨てられなくて、周りに合わせて生きてきたの。
それは今でも多分そうで…
だから客観的に見て遅い部類のトランスになったのかなって思っています。
でもね、時間をかけた事で良いこともあって、私は中性でいようとした時間が長くあった事が、カミングアウトした時にはクッションになって、周囲からの理解にプラスに働いたようにも感じています。
それが本当に良かったのかどうかなんてわからないし、他の人にオススメも出来ないけど…
頑張っていた事や我慢してきた事が、無駄にならずに今に繋がっているのかなって。
生きるって何?
幸せってなんだろう?
哲学的な問いで、少し噛っただけの私にはわからない話だけれど、私はね、生活が成り立っていないと、人はネガティブになるんだと感じているんです。
不満ってね、どんどん増殖するから、嘆けば嘆く程悪くなると思っているの。
なんて言うのかな…
上手く言えないけれど、足るを知るみたいなことが、生きるとか幸せであるには重要だと思っていて。
夢や希望ってね、ポジティブになれるし、希望は常に持っていたいとは意識しています。
希望が無いと人は生きていけない。
仕事場で✨
なのに、GID(GI)ってね…
そもそも生まれながらに、究極的には無理だったり絶望するような望みが前提に有るんです。
だから悩むし、不幸な選択をしたり、諦めてしまったり、病んでしまったり、色々な人を目にします。
私もそういう時期を勿論経験してきたし、今でも悲しくなることは沢山あるけれど、なんとか生きて来られたのは、運良く死ななかったから。
身も蓋もないけれど、長く生きていると良いことも有るのは本当で。
生きる事で自分の許せる許容範囲が広がったりね、耐えられる事も増えてきたりする。
すっぴんだと顔色悪くてゴメンけど、旅行中ネイル出来て嬉しい私
私自身が意識してきた事はね、社会に属して仕事をして、生活を成り立たせる事。
キラキラしてなくても良いから、生活基盤があること。
社会的な人間関係を構築すること。
当たり前で、一見トランスには何も関係無いことみたいな話だけど、実はこれが無いと、何も始まらないし始められないと思ってきたのです。
病まずに生きる為に、私はこれが現実的に1番大切だと今でも考えています。
誰かに、白馬の王子様に助けてもらえて、何不自由なく生活が成り立つ人もいるのでしょう。
でも、私にはそんな事は起こらない。
いつか独りきりで生きなければならない時間が、必ず来るのだと思ってる。
ならばその時にね、属する人間関係がないとか思い出がないって凄く空虚で…
それではとても幸せに生きられないんじゃないかと思うのです。
時代が進むに連れて、社会的に沢山寛容にはなったけれど、今でも就労に不利があったり、社会的な偏見は残っているし、今後も0にはならないと思う。
私の周りにはいないけれどSNSでのヘイトも凄いしね。
でもね、今は以前と違って、少なくとも特殊な世界、特殊な職種に頼らなくても、生きられる世の中になったと思うの。
だって私は特別な人じゃないけれど、なんとかこうやって普通に生きていますから😊
それを知ってもらうだけでも、意味があるのかなって思って。
調査によれば、治療や社会的なトランスをしていない人を含めても、トランスジェンダーって0.7%にも満たない数しかいないのですから。
私ね若年ではないトランスジェンダーの色々な人を見てきて、例えばお子さんがいたり、私とは違う条件下で悩んだり困ったりしている方を知っています。
それは私には本質的にはわからない悩みなのかもしれないけれど…
親子とかね、肉親、家族って、やっぱり特別な関係だと思うんです。
異論のある人もいるだろうし、それを無視しなければならない環境の方もいる事は理解しています。
ただ、当たり前のものが無いって、自分をかえりみても、やっぱりそれは少し悲しい事ではあるから、可能な限り周囲も大事にしながら、自己実現して欲しいなって願っています。
私に残された時間は少ないし、何があるかもわからない。
若い人でもね、自分を振り返ってみると、生きている時間って足りないくらい本当に少ないと思っています。
だからね、自分が不幸でいられる時間なんて、なるべく要らないと思うの。
捨て鉢になったり刹那的に生きるってことじゃなくてね、 少しでも足るように…。
上手く言えないや。
私はただ、私以外の皆にも幸せでいて欲しいのです。
私とは価値観が違う方、方法の違う方、死生観の違う方も沢山いるから、どうしろとか、どうした方が良いよって、私から言える事は一つもないのだけれど、私のケースデータが参考になったり、他山の石になったりしてくれたら良いかなって。
不幸だなーとかネガティブにとらわれないで、皆が自分の為に頑張って欲しいなって願っています。
私も落ち込んでしまわないように、今年もこれまで通り頑張るよ😊